奈良(久しぶりの奈良)
2018年12月13〜16日:単独

12月13日:興福寺(東金堂、中金堂、国宝館)、東大寺(戒壇院)、新薬師寺
  
朝8時半に自宅を出て、岩宿駅より両毛線の9時発の高崎行に乗った。上越新幹線、東海道新幹線を乗り継いで京都駅に13時半に到着。京都駅で近鉄の特急に乗って奈良に着いたのは2時半過ぎになっていた。

  近鉄奈良駅を出て、歩きだして直ぐの興福寺を見学。まず、阿修羅像のある国宝館に立ち寄った。十大弟子像、八部衆像などいずれも素晴らしい。少し眉をひそめた少年の姿の阿修羅像は写真で良く見ていたし、実物も何度か見たことがあるががやはり素晴らしい。特に、八部衆像は全部で八体あるが、阿修羅像以外にも少年の顔をした像が印象に残った。このような素晴らしいものが1200年以上前の奈良時代に作られたのだ。

興福寺五重の塔                     興福寺東金堂                      興福寺中金堂
    


 次いで、東金堂で、薬師三尊像、一二神将像などを見学。さらに、今年になってく奈良時代当時の様式で新しく復元された中金堂を見学。御本尊の釈迦如来像は金ぴかで新しい感じがしたが、脇仏の菩薩像、四天王像は鎌倉時代の素晴らしい像であった。

 その後、急いで東大寺に向かった。大仏殿の近くでは大勢の観光客、修学旅行生、外国人観光客が目に着いたが、そこを素通りして、戒壇院に向かった。こちらは嘘のように殆ど人がいない。ゆっくりと四天王像を見学出来る。腰をゆがめ少し眉をひそめた表情の多聞天、広目天は好きな像の一つである

東大寺南大門                      戒壇院                       新薬師寺
  

次いで急いで本日泊まる予定の宿の近くにある新薬師寺に向かった。4時40分に新薬師寺に到着。まだ拝観できますとの事で、誰もいない新薬師寺に入った。ここは昔何度か来て見た12神蒋像がある。12神蒋像を順番に10分で見て寺を出たのは時間ぎりぎりの5時前であった。

  その後、薄暗い中を本日の宿に向かった。

1月14日:正暦寺(奈良から山の辺の道を辿って行く)、大神神社
 
 朝8時半に宿を出て新薬師寺の前を通り、百毫寺前を通り、山の辺の道を標識に向かって進んだ。山の辺の道は飛鳥時代からの古い道で奈良の山沿いを通る。標識が所々あるが、畑や街中を通る曲がりくねった細い道が多く分かりづらい所もある。途中で道を間違えて引き返したりしてようやく円照寺まで行った。

山の辺の道                        山の辺の道の歌碑                   竹林の中を行く
    

  この後、小さな山を越えればよかったのだが、間違えたと思い引き返して遠回りをして正暦時に向かった。道行く人に尋ねると、このまま自動車道を進んで行くと細い山道となり、その先に正暦時があるとのことであった。

山の辺の道で石碑とお社                  道端のお地蔵さん               正暦時に向かう細い登山道
    

  確かに細い山道となり林の中をしばらく行くと反対側の自動車道に出た。その自動車道の直ぐ先が正暦時である。結局奈良から歩いて2時間半掛って正暦時に到着。住職さんにお目にかかり、いろいろ話を伺いお寺を拝観した。

正暦時への道                                                    正暦時
    


  正暦時はこれまで何度か訪れているが、今回は久しぶりの訪問である。奈良の由緒ある古刹の一つで山際にあり、古い奈良のお寺の雰囲気が良く残っていて好きなお寺である。

正暦時
    


  奈良の中心部から遠く
観光客でにぎあう事無く、今では公共バスも通じていない。但し、お寺の周辺は紅葉の名所で11月だけバスが通じ、大勢の観光客が訪れるとの事であった。

    

  その後、山際の瀟洒なレストランでランチを共にした後、大神神社まで車で送って貰った。大神神社に訪れるのは初めてだが、昔読んだ三島由紀夫の小説の中に出ていた記憶がある。

  立派な神社で御神体が三輪山で、祭神が大物主の命(大国主命)であると書かれていた。まず、拝殿でお参りした後、三輪山の登山口にある狭井神社に向かった。三輪山にも上りたかったが、期限時間の2時を少し過ぎていたのであきらめた。

大神神社                          大神神社拝殿                       狭井神社にある三輪山登山口
    


  少し下ると池があり傍らに三島由紀夫が書いた清明と言う石碑が立っていた。その横にある説明を見て、昔読んだ三島由紀夫の小説が「豊饒の海、奔馬」であることを思い起こしたが、ストーリーは全く思い出せない。

三島由紀夫の書いた清明の石碑           丘の上から見る市街地と大和三山、二上山     寺院様式の若宮社
      

  さらに行って少し登ると市街地を一望できる小高い丘(大美和の社)に出た。眼下に市街地が見え、その先に大和三山、さらには二上山が見えた。その丘を下り、かって神仏習合の時代にはお寺であった寺院様式の大直禰子神社(若宮社)をお参りしてから三輪駅に戻り、JR桜井線に乗って奈良に戻り昨日と同じ宿に宿泊。

12月15日:大和三山(香久山、耳成山、畝傍山)

12月16日:斑鳩の里のお寺を尋ねる(法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺)
  朝宿を出て、jR奈良駅まで行き、JR大和路線に乗り法隆寺駅で降りた。法隆寺は中学校の修学旅行以来何度も訪れていたが、最近20年は行って無かった。

  学生時代の50年以上前には、亀井勝一郎の「大和古事風物詩」を読んで、法隆寺から法輪寺、法起寺、慈光院と歩いて本に出ていたのとまさしく同じ光景に出合い感銘を受けた。亀井勝一郎の言う所の「崩れ行くものの美」がそこにあった。しかし、高度成長とともに周囲は開発が進み道路や住宅が立ち、これらのお寺も崩れて行くのに任せるのではなく修復保存がなされている。

  法隆寺駅から歩いて法隆寺に向かった。さすがに12月中旬で観光客は比較的少なくゆっくりと見ることが出来た。五重の塔、金堂などの建物や夢違観音、百済観音像などを見てから夢殿を経て、中宮寺に向かった。

法隆寺中門                        五重塔と金堂                         長い回廊           
    



  さすがに中宮寺まで来る人は数少ない。ゆっくりと説明を聞きながら本尊の半跏思錐観音像を拝観。中宮寺を出た後は住宅地、畑の中の道を歩いて法輪寺を拝観。法隆寺には結構人がいたのに、ここまで来る人は誰もいなかった。昔来た時には無かった三重の塔が再建されていた。久しぶりに講堂の中の飛鳥時代、平安時代の仏像を見学した。

夢殿                              中宮寺本堂                      新しく再建された法輪寺三重の塔
    


  その後、畑の中の道を進み法起寺を見学。ここには古い三重の塔が立っている。そこから畑の中の細い近道を歩いてJR小泉駅まで行こうとしたが、途中で迷って結局大回りをしてようやく小泉駅にたどり付くことが出来た。

法輪寺講堂                         法起寺三重の塔                      法起寺講堂
    


  駅前の食堂で遅い昼食を取りJRで奈良に戻った。その後、奈良線で京都まで行き東海道新幹線、上越新幹線、両毛線を乗り継いで帰宅した。