エベレスト ベースキャンプ、カラタパール トレッキング
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(2014年10月19日〜10月31日) 

  過去2年間は町務員(町会の役員)をやっていたので、海外旅行などで長期間不在にすることが出来なかった。それも、今年3月末で終わりとなった。そこで、これまで一度も行ったことが無かったエベレスト街道のトレッキングをしてカラタパールまで登ることにした。

  自分の山歩きのペースは(非常にゆっくり歩く代わりに2〜3時間は休まない)は他の人と異なるので今回も単独で行くことにした。現地カトマンズで日本人女性が運営している旅行社(ヒマラヤン アクティビティーズ社)にメールで問い合わせた所、一人でも、また日程もこちらの都合に合わせてやってくれるとのことであった。カラタパールとエベレストベースキャンプに行くトレッキングを申し込むことにした。日程的に余裕があればさらにチョララ峠を越えてゴーギョピークまで行くことも可能とのことであった。ガイドとポーターがついて料金は日本のツアー会社に頼むより安い。

   まず、HISで航空券を手配した後、正式に申し込み、トレッキング代金とトレッキングの前後のホテル代合わせて約19万円を振り込んだ。航空券はタイ航空でバンコク経由の往復で約13万円。

118() 晴れ

   
前日にすべての荷物とサブザックをまとめて60Lのザックにつめてすべて用意が出来た。重さはザックともで16.9kg。少し早いが、4時21分新桐生発の両毛号に乗り北千住で降りた。駅前で夕食を取った後、北千住発羽田空港行の高速バスに乗って羽田空港に到着。9時過ぎにタイ航空のウンターに行きチェックイン。ザックの中の一部をサブザックに移し、残りのザックを預けて身軽になった。

  深夜の0時前に搭乗。0時20分定時発。バンコク国際空港に4時55分着。カトマンズ行に乗り換えるためバンコク空港で待っている時に、同じようにヒマラヤ方面にトレッキングに出掛ける3人ずれの方と少し話をした。そのうち一人高木さんはまだ現役のサラリーマンだがすでに10回近くヒマラトレッキングの経験をお持ちの方であった。もう一人のOさんは今年退職された方でヒマラヤトレッキングは始めてとのことであった。

  バンコク空港で5時間待ってカトマンズ行の飛行機は10時25分発。大勢の観光客、トレッキング客が乗っていた。12時35分にカトマンズ到着。空港でビザはスムーズに取れたが、荷物が出てくるのが遅れて1時間以上かかってようやく空港外に出ることが出来た。旅行社の人が出迎えに来てくれて、車でホテルまで向かった。

  途中の道路は完全に整備されている訳で無いのに車が多い。埃っぽいし排気ガスも多い感じである。車、バイク、自転車、人が多い。交差点ではマスクをした警官が手信号で交通整理をしていたが、小さな交通事故は沢山有りそうな様子。

  タメル地区に入り、商店街の間の狭い道を上がってホテルに到着。ホテルで旅行社の人と打ち合わせ、荷物などの確認をした。申し込みの際、日本語を話せるガイドを希望するがいなければ英語を話せるガイドでも構わないとメールしていたが、英語を話すガイド(バクタさん)を紹介された。トレッキング中はガイドと相談しながら行って欲しいとのことであった。その後、ガイドに連れられて5万円(約4万5千ネパール ルピー)を両替をし、エベレスト方面の地図を買ってホテルに戻った。

  5時過ぎにホテルを出て通りをぶらついた後、ももたろうと言う日本食レストランでビールを飲みながら天丼、野菜炒めを食べた。たまたま、居合わせた愛知のYさんと少し話をした。単独でガイドレスでトレッキングをしているとの事だが、先日大きな遭難事故があったアンナプルナサーキットも途中まで行ったが、冷たい雨が降り出したので引き返してきたとのことであった。

  ホテルに戻り9時就寝、良く眠れなかったので11時頃、入眠剤(サイレース)を飲んで寝た。
  

1019() 晴れ  (カトマンズ ― ルクラ{2400m} ― バグディン{2800m})
  徒歩:2時間半
 

    
6時半起床、7時半朝食。9時にガイドがホテルにやって来て、車で空港に向かった。大勢の人がルクラ行の飛行機を待っていた。昨日は9時過ぎの便はすべて欠航だったので、その乗客が優先された。カトマンズ空港10時半発の予定であったが、結局飛行機に乗れたのは12時。12時半に出発。双発のプロペラエンジンで乗客は15人程度。

  一時過ぎに、山間にある狭いルクラ空港に到着。ルクラの通りを少し歩いてレストランで、春巻とコーヒーで昼食。昼食後、ポーターのドルガさんに13kgのザックをを持ってもらい、自分は3kg程度のサブザックで、2時15分からトレッキングを始めた。

  ガイドには I walk very slowly with taking rest. と言ってゆっくりのマイペースの歩き方を進めた。ガイドはこのペースに合わすのに苦労したようで先に行っては休んでいた。この休んでいたガイドに I will continue walking と言って休まず歩を進めた。しばらくするとガイドが後ろから追いついてきた。ガイドもだんだんこちら側のペースが分かってきてそれに合わせるようにしてくれたが、やはり同じようなペースでは歩けない。以後、一緒に歩を進めるときと離れて歩くときが出て来た。

 ルクラ空港に着陸                       ルクラから歩き出す
   

 

  しばらく下りが続いた。大勢のトレッカー、ガイド、ポーたー、荷物運びのヤクやゾッキョ(ヤクと牛の混血)が往き来していた。途中アップダウンを繰り返しながらいくつかの集落をすぎて4時45分にバグディンのロッジに到着。部屋は一人部屋でまずまず。
  5時過ぎに食堂に行きビールを飲んだ。6時からチキンカレーとコーヒーで夕食。一人の日本人(愛媛のお坊さん)と日本語が達者なチベット人の連れと話をした。

  毛布を借りて寝袋を使わず寝たが足元が寒かった。

1020() 晴  (バグディン{2800m} ― ナムチェ{3440m})
   5時間50分 (徒歩:5時間05分、昼食;45分)
 

  5時前に目が覚めた。6時半起床、7:30パンケーキとコーヒーで朝食。7時50分出発。

  つり橋を渡り、ほぼ平坦な道を進んだ。何回かつり橋を渡ってモンジョに出た。さらに少し行ったジョルサレに10時25分に到着。サンドイッチとコーヒーで昼食を取りながら休憩。

つり橋を渡る                       右手にタムセルク                    ナムチェの街
  


  その後、11時10分に出発。ややきつい登りが続いていたが、ゆっくりと休まず歩き続けた。チェックポイントでトレッキングの許可書(TMS)のチェックを受けて、最後の一登りで1時40分にナムチェに到着。ナムチェはシェルパ人の町で斜面に沢山のロッジ、ホテル、お土産物屋などが並んでいた。

  お土産物や登山用品を扱っている商店街を眺めながら散歩した。この日の夕食はネパール料理のダルバートダルカリとトマトスープ。
  8時過ぎに就寝。寝袋と借りた布団を併用したので少し暑かった。部屋のすぐ上が皆が集まる食堂でうるさくて寝付けなったので、9時半過ぎに入眠剤(サイレース)を飲んで寝た。

1021() 晴れ 高度順応日 ナムチェ{3440m ― チョルクンの丘 ― シャンボチエ(エベレストビューホテル){3800m}―ナムチェ)
   4時間 (徒歩:3時間、休憩:1時間) 

  
 朝6時半起床、7時にトーストとコーヒーで朝食。7時半に出発。

  まずはじめに裏手のチョルクンの丘に上がった。目の前に雪を被ったエベレスト、ローツエなどの山々が見える。丁度、エベレストを正面にして立つテンジン(ヒラリーとともにエベレストに最初に登頂したシェルパ)の像の除幕式が始まる所で関係者が集まってスピーチをしていた。長くなりそうだったので、途中で離れて博物館を見学した。シェルパ族の生活、ナムチェ集落、国立公園内の動植物の写真と蝶の標本の展示があった。蝶は日本の高山や高原に棲息するものと共通種が多いような印象を受けた。

エベレストを前に立つテンジンの像の除幕式前  アマダブラム           エベレストを仰ぎ見ながら進む登山道
   

  
続いて。反対側のシャンボチェの丘に上がり、エベレストビューホテル(日本人が経営している豪華ホテル)に向かった。このホテルの裏庭のテラスで、エベレストやローツエを見ながらゆっくりとコーヒーを飲んだ。ここでは大勢の日本人グループ、欧米人グループが眺望を楽しみながら休んでいた。混んでいたので、テーブルを同席したフランスから来たと言う単独行の女性と少し話をした。彼女もネパールのトレッキングは今回が始めてで、ゴーギョピークからレンジョパスに向かうと言っていた。

エベレストビューホテルテラスから見る   エベレスト               カンテガ、タムセルク
  


  ゆったりとしたコーヒータイムの後は、小さな飛行場を見ながら反対側の急坂を下り降りて、ナムチェの町に入り土産物屋の中を通ってホテルに戻った。

  1時から野菜入りフライドポテトで昼食。2時からホットシャワーを浴び、下着、靴下の洗濯をしながら体を洗った。3時から4時半までナムチェの土産物屋などを見ながら散歩。毛糸の帽子を買う。6時から野菜炒麺の夕食。料がやや多すぎるが全部食べた。その後、バンコク空港でお目にかかり話をした高木さん達一行に再びお目にかかり話をした。また、3人連れの日本人グループ(お一人は群馬大学工学部の出身者であった)とも話をして過ごした。
  9時直ぐに就寝。今回も入眠剤を飲んだ。

122() 晴    (ナムチェ{3440m} ― タンボチェ{3870m})
    4時間55分 (徒歩:4時間 昼食:55分)
 

    朝4時に目が覚めた。6時起床。7時にチャパティーとスープで朝食。7時55分出発。

  初めは緩やかな登りが続いた後緩い下りとなった。道は整備されていて歩き易い。途中、道路整備のための寄付をわずかだがして通った。10時25分、プンギタンガに到着。ここで昼食(野菜炒め入りポテトフライと野菜スープ)を取りながら長い休憩。11時20分、出発。所々急になる長い登り坂をゆっくり上がって本日の宿泊地タンボチェに12時50分到着。

ナムチェからの道              アマダブラムを見て進む         入山チェックポイント
  


 
 ビールを飲んで休憩後、タンボチェのゴンパを見学した。これから始める儀式の予行練習をお堂内に入って見学した。ゴンパ(お寺)、仏像、仏画、僧侶の衣装、マニグルマなど、チベット仏教に似ているが、ネパールの仏教では5体投地はしないとのことであった。山門の狛犬(狛獅子?)が面白かった。

タンボチェに到着したポーター      ゴンパの山門の狛犬           反対側の丘の上から見るタンボチェ
  


  山門の前で前日お目にかかった3人連れの方に出会った。彼らはここまでで下るとのことであった。その後、ゴンパと反対側のタルチョの旗がはためくお堂に上がった。ゆっくり上がっても結構疲れた。標高が高いせいだろうか?戻ってレモンティーを飲んで休憩。

1023() 晴  (タンボチェ{3870m} ― パンボチェ{3910m} ― ショマレ{4010m} ― ディンボチェ{4350m})
   
 5時間20分 (徒歩:4時間35分 昼食:45分)
 

  
朝5時前に目が覚めた。6時半に起床。8時に朝食(コンチネンタル ブレックファーストとスープ。8時40分出発。

  緩い下りが続いていた。途中、頑丈なはずの鉄の橋が壊れていた。地震でもあったのだろうか。その先の小さな橋を渡った。程々の上りが続いてパンボチェに10時20分到着。レモンティーを飲んで休憩していると、朝食を共にした高木さん達がやって来た。彼らは今日はここで宿泊するとのことであった。

ロッジの部屋から見たエベレスト、ヌプツエ       タンボチェゴンパ                     橋を渡る
  


  10時55分に出発。緩い登りを上がり11時30分にショマレ到着。ここで昼食。野菜入りフライポテトは美味しいが量が多すぎる。12時15分出発。つり橋を渡り尾根筋の上りがややつらい。休み無しにゆっくり上がると平坦な道となった。しばらく行くと本日の宿泊地ディンボチェに到着(2時)。

ヌプツエ、ローツエを見ながら進む          大きな荷物を運ぶゾッキョ(ヤクと牛の交配種)    ディンボチェ
  


  日陰には先日降った雪が残っていて少し寒かった。目の前にはローツエ、アイランドピーク、アマダブラムなどの雪を被った山々が見える素晴らしいロケーションであった。ガイドの話ではディンボチェはホテル、ロッジが沢山あるがトレッキング客でほぼ満員とのことで一件目のロッジは断られたとの事。幸い2軒目で部屋を確保でき2ベッドの部屋を一人で使えた。
  

1024() 晴 高度順応日  (ディンボチェ{4350m} ― 5080m峰 ― ディンボチェ)
   4時間 (徒歩:4時間)
 

  朝5時前に目が覚めた。5時半に起きて周囲の山々に陽がさす朝焼けの景色を見ようと、寒い中を6時10分前から6時半まで屋外で山々を眺めていた。後で考えると、これが風邪引きの原因となったかと思うと止めておけば良かったとつくづく思う。自分の健康状態について自信過剰だったのであろう。

朝焼け                           陽が差し始めたアマダブラム
  


  7時半にチャパティーと蜂蜜で朝食。8時10分出発。

  近くの5080m峰を目指した。結構きつい登りが続いていた。途中の丘の上で日本人の4人連れが休んでいたいた。ここからの眺望は素晴らしく、正面にローツエ、マカル、アイランドピーク、アマダブラム。真下にはディンボチェの街。反対側はロブチェピーク、アラカムツエ、チョラツエの山々とチョラパス。下にはペリチェの街。

アマダブラム、カンテガ                ローツエ、マカル、アイランドピークを背に       タウチェ、チョラチェ、チョラパス、カンチェン
  


  
眺望を楽しんだ後はゆっくりと休まず上って10時25分に5080m峰に到着。標高差700m以上を2時間15分で上がった事になる。高山病の症状は全く無かったが、この高度で随分速いペースで上がり切ったと思う。頂上にはタルチョの旗がはためいていた。先客が4,5名おり、後続のトレッカーも上がって来た。

5080m峰から見るローツエ、マカル、アイランドピーク、アマダブラム
  


  11時に下山を開始。2本のストックを使い急斜面をゆっくり降りた。主として土と背の低い植物が生えている登山道は岩だらけの道で無いのが有難い。12時10分にはロッジに到着。

  ビールを買い飲んだ。うまい。その後、肉入り焼きソバで昼食。一時半からホットシャワーを浴びて靴下と下着を洗濯した。あとは部屋に戻って休んだ。6時半に夕食。7時半過ぎに外に出て空を見上げた。満天の星がきれいであった、久しぶりに天の川を見た。8時半過ぎに就寝。
 

1025() 晴  (ディンボチェ{4350m} ― ロプチェ{4930m})
    6時間 (徒歩:5時間 昼食:1時間)
 

  
久しぶりに良く眠れたが、4時15分に目が覚めた。6時15分起床。7時20分、フレンチトーストとコーヒーで朝食。7時55分出発。

  なだらかな登り坂をゆっくり歩いて9時35分にトクラ到着。ここでコーヒーを飲んで休憩。9時55分に出発し、やや急な登りを上がり切るとトクラ峠だった。たる朝の旗がはためき、周囲はヒマラヤで遭難した亡くなったシェルパ、登山者の記念碑が沢山立っていた。日本人の記念碑もある。

トクラとロブチェピーク                  トクラパスのタルチョと記念碑              トクラパスから雪の中、少し下る
  

 
   
  その後、なだらかになった川沿いの道をゆっくり上がり11時25分にロプチェに到着。周囲は先日降り積もった雪がかなり残っていた。まだ早かったので、幸い、2ベッドの部屋を一人で確保できた。

  登る途中結構汗をかいていたのに着替えをしなかったので急に寒くなってきた。急いで着替えをしたが遅かった。さらに厚着をして保温すべきであった。これがさらに風邪の悪化の原因であった。

  12時20分に昼食野菜卵入りフライポテトとコーヒーで昼食。1時から、ガイドに連れられて正面の丘を上がり、反対側にあるクーンブ氷河を眺めた。氷河は表面の雪氷が完全に溶けていて土砂や岩に覆われていた。所々小さな氷河湖が出来ていた。崩れかけた大きな氷河の壁も見えた。ガイドの話では2,3年前はもっと氷河が厚かった。融け崩れていく速度が早いと言っていた。地球温暖化の影響だろうが、この氷河もかなりの部分が消滅していくかも知れ無いとじっと眺めていた。反対側に目を向けるとピラミッド(イタリアの研究センターだとか)が見えた。

雪の中のロプツエのロッジ              プモリ、中腹に見える黒っぽい丘がカラタパール   ピラミッド
  

  
   
  丘の上から見える雪を被ったプモリ、ヌプツエが素晴らしい。プモリの下部に見える黒っぽい丘がカラタパール。その下がゴラクシェプで、氷河沿いにエベレストベースキャンプの道が続いている。小さな丘の稜線上をしばらく行ったが、雪が残っている急斜面を下るのは危険なので、そのまま来た道を引き返した。

  1時間半の小トレッキングを終え2時半にロッジに戻った時には大勢のトレッキング客でいっぱいであった。

  6時半に夕食後、7時半頃から就寝。風邪の症状が出始めて良く眠れないので入眠剤を飲んで寝た。

1026() 晴   (ロプチェ{4930m} ― ゴラクシェプ5150m} ― エベレストベースキャンプ{5364m} ― ゴラクシェプ{5150m})     7時間20分 (徒歩:6時間10分 昼食休憩:1時間10分)
 

  
夜中に何度かトイレに行ったが、とりあえず入眠剤のお蔭で良く眠れた。6時30分起床。7時30分朝食。8時出発。

  夜のうちに雪が降ったようで、わずかだが新雪が積もっていた。登山道はなだらかな登りで新雪を踏みしめて進んだ。10時20分にゴラクシェプに到着。ここはロッジの数、収容人数が少ないので2ベッドの部屋を誰かと共有しなければいけないと言われた。

エベレストB.C,を目指してクーンブ氷河を行く    ヌプリ、手前の丘がカラタパール           エベレスト山頂
 


  そこで、ほぼ同時にこのロッジに着いた日本人の単独トレッカーの近藤さんと部屋をシェアーすることになったのは幸いであった。部屋に荷物を置いて、一緒に昼食を取った。

ゴラクシェプのロッジ                     クーンブ氷河の氷河壁の崩壊               雪に覆われた氷河湖
    

 
 11時から、彼はカラタパールを目指して上がって行った。自分はガイドとともにエベレストベースキャンプに向かった。初めは緩い登り道が続いていたがクーンブ氷河の方に下り、氷河の上の岩がごろごろ転がっている細かいアップダウンが激しい登山道の先がエベレストベースキャンプ(EBC)だった。13時20分に到着。タルチョの旗がはためき「Everest Base Camp] の標識が立っていた。岩がごろごろしていて凸凹も多いこんな所にベースキャンプを張るのかと思ってしまった。

  エベレストベースキャンプでガイドと                            エベレストベースキャンプから見るエベレスト山頂
     


 
 周囲のクーンブ氷河は表面の雪氷が解けて大きな岩で覆われており、崩れかけている氷河壁、小氷河湖が目についた。

  14時にEBCを出発。風邪の症状が出て疲れが激しく喉が痛くなった。ようやく3時20分ニゴラクシェプに戻った。部屋に入ると近藤さんはすでに戻っていた。
  部屋に戻って寝袋にくるまり休んだ後、夕食。食後、持参の風邪薬を飲んだ。

  この時点で、当初予定していたチョラパスを越えて、ゴーギョ方面に行き、ゴーギョピークに上がってからルクラに戻る計画は諦めて、カラタパールに上がった後、そのまま引き返すことにしてガイドにチョラパス越えは残念ながら諦めたと伝えた。

  8時就寝。咽喉は痛いし咳が出る。咳をしたり、トイレに行ったりで音を立て、同室の近藤さんには迷惑をかけてしまった。これ以上風邪が悪くなれば、救援ヘリを頼まなければならないかななどと考えているうち眠れなくなり、入眠剤を飲んだら眠れるようになった。

1027() 晴  (ゴラクシェプ{5150m} ― カラタパール{5546m} ― ゴラクシェプ{5150m} ― ロプツエ4930m})
     7時間 (徒歩:3時間半 休憩昼食:1時間半 徒歩:2時間)
 

  
朝4時頃から周囲がうるさい。これからカラタパールに上る人ガ多いようである。6時起床。相変わらず風邪の調子が悪い。6時半パンケーキで朝食。風邪薬を飲んだ。7時カラタパールを目指して出発。急な上り坂がづっと続いていた。いつも以上にゆっくりと歩いた。風邪で調子が悪いが、高山病の症状は出なかった。
カラパタールを目指して行く
                ヌプリ                        カラパタールの上で
   


  上がるにつれてエベレストやヌプリなどの周囲の山々が見えてきた。大勢の人が上っており、また下ってくる人も多かった。9時半にようやくカラタパールの頂上に到着。タルチョノ旗がはためき大勢の人がいた。

   カラタパールからの眺望                                エベレストを背に                                    
  


プモリ                             エベレスト、ヌプツエ                     エベレスト
  


 
   


  エベレスト、ヌプツエ、アイランドピークなどを見ながら、30分近く頂上に滞在。エベレストは上部だけしか見えず思ったより小さく見えた。10時に下山を始め、11時にゴラクシェプに到着。30分ほど横になって休んだ後、ヌードルスープで昼食。食欲がわかないが取り敢えず全部食べた。

  12時に出発して2時間かかってロプツエに3時到着。下りなのに登りとほぼ同じ時間がかかった。小屋で横になって2時間ほど休んだ。5時半からミックスピザで夕食。これから上がると言う日本人の単独行の人と話をした。

  風邪薬を飲んだが、咳や痰がでて風邪は良くならない。
  
1028() 晴後曇り   (ロプツエ ― タンボテェ)  
   6時間50分 (徒歩:6時間5分  昼食:45分) 
 
   
  朝6時前に起床。7時半から野菜サンドイッチで朝食。食後風邪薬を飲んだ。8時出発。

  緩い下りを割と早いぺ―スで歩いて行った。周囲は雪が残っていて冷たかった。10時10分にペリチェに到着、休憩してレモンティーを飲む。10時30分に出発。緩い下りが続きいて川沿いに出た。橋を渡り、ディンボチェへの分岐点を通り過ぎてショマレに11時45分到着。ここで昼食(野菜入りポテトフライ)を取りながら休憩。

  


  12時半出発。橋を渡りパンボチェを1時に通過。橋を渡ると壊れた鉄橋があった。ここから標高差約100mのきつい登りを上がり切り、14時50分にタンボチェに到着。行きに泊まったロッジに宿泊。行きに比べ客が少ない。空は一面曇り空となり、小雪がちらついてきた。

  

1029() 晴後曇り  (タンボテェ ― ナムチェ)
     3時間55分 (徒歩:3時間55分)

  朝6時前に起床。7時半から朝食。食後風邪薬を飲んだ。相変わらずのどは痛いし、鼻水が引っ切り無しに出てくる。8時出発。

ロッジの部屋から見るゴンパ、アマダブラム       仏画                             マニグルマ
  


   標高差約600mの急な下りが続いて8時55分にプンキテンガに到着。その後緩い登りが続いてキャンジュマに10時5分に到着。レモンティーを飲んで休憩。目の前には特徴的な形をしたアマダブラムが見えた。

急峻な沢                          アマダブラム                      チンゲンサイを収穫していた
  


   10時20分に出発。緩いアップダウンを繰り返して11時45分にナムチェに到着。行きに泊まったホテルに宿泊する。12時半から昼食。日本人の女性がメインなグループも昼食を取っていた。彼らは今日中にさらに下って行くようだった。

   昼食後、ホットシャワーを浴びて休憩。2時からチュルクンの丘に上がり、シェルパ博物館を見学。」シェルパ族の生活用具や結婚式の写真とスライドを見た後、主なエベレスト登頂者のリスト写真を見てホテルに戻った。

  風邪の調子は相変わらず悪い。インターネットの店から妻にに「取り敢えず上がって来て戻る途中と言う」メールを出した。
  チョラパス越えでゴーギョの方に行くことを断念したので4日の余裕が出て来た。そこで、ガイドの意見も入れてポカラに2日間滞在してアンナプルナ方面の山並みを眺めることにして、カトマンズ―ポカラ間の飛行機とポカラでのホテル2泊分をの予約をガイドを通して旅行社にお願いした。

1030() 晴後曇り  (ナムチェ ― ルクラ)
     7時間半  (徒歩:6時間50分  昼食:40分)

  朝5時半に起床。6時半からシンプルブレックファーストで朝食。風邪薬は終わってしまった。7時出発。

  本日はトレッキング最終日。長い急な下り降りて橋を渡り、ジョルサレに8時40分到着。モンジョを経て橋を渡りほぼ平坦な道を進み11時にバグディンに到着。野菜春巻で昼食。11時40分に出発。チョブルンまで緩いアップダウンが有るがほぼ平坦な道を進んだ。最後のきつい登りが終わるとルクラの街であった。14時30分到着。ホテルについてガイドとビールを飲んで乾杯。ルクラ在住のポーターはこれが最後になるのでお礼を言ってチップを渡して別れた。

 エベレスト山頂を最後に見る               ルクラに到着                     ルクラの街
    

  ホットシャワーを浴びて、6時から夕食。食堂に居合わせたフランス人とエクアドル人のカップルあるいはガイドたちと少し話をした。ここで、ネパールのお酒、ロキシについて聞くと食堂の人がコップに一杯を持って来てくれた。飲むと日本の焼酎のお湯割りに近い印象を受けた。ロキシもお米から作るとのことであった。その後、8時半過ぎに部屋に帰って就寝。
 

1031() 晴後曇り  (ルクラ ― カトマンズ)

  
8時半から朝食。カトマンズ行の飛行機は遅れが出ているとの事であった。空港の直ぐ上の高台で飛行機の発着、救援ヘリの発着を眺めていた。予定の出発時間は10時半であったが、結局搭乗して出発したのは12時半を過ぎていた。約30分のフライトでカトマンズに到着。

  迎えのタクシーに乗り、宿泊ホテルの向かいの旅行社の事務所に行き、無事にトレッキングが済んだお礼を言い、1昨日予約をお願いしたポカラへの往復飛行機、ポカラのホテル2泊、さらにカトマンズに戻ってからのホテル2泊分のチケットとバウチャーを貰い、代金を払って旅行社を出た。
  その後、ガイドと2人で直ぐ近くの日本料理店に行きビールで乾杯するとともに昼食を取った。最後にガイドにお礼とともにチップを渡してホテルに戻った。

  これで、今回のエベレスト街道トレッキングはすべて終わり。途中で風邪をひいたため当初考えていたいたチョラパスを越えてゴーギョ方面に行く計画は断念せざるを得なかった。後半は風邪でつらかったが無事に楽をしてトレッキングを続けられたのはガイドとポーターのお蔭である。山歩きの際、良く出てくる膝痛も全く出る事が無かった。軽いサブザックで行動することが非常に楽であるという事を実感した。


途中で出会った蝶(他にも色々でいたが、写真に取れたのは以下だけ
 
日本に棲息する蝶と同じか類似種が多かった。季節を考えると蝶相は豊富な印象を受けた。

こヒョウモン(?)              吸蜜するミヤマモンキチョウ      シジミチョウの一種            ヒョウモンチョウの一種       
   


途中で出会った草花
 
もうすでに時期外れになるのだろう、種類は限られている
リンドウ                   タンポポ                  ヤマハハコ                コケモモ?
    
エーデルワイス               
    

                        デージー
 


以下、見聞きあるいは気づいた点をいくつか

1、エベレストトレッキング
  
今回のルクラから始まるトレッキングコースはネパールで最も人気のあるコースで、途中の適当な所で引き返しても充分周囲の山々の眺望、景色を楽しめる。しかも、10〜11月は晴天が続き、寒くなる直前でトレッキングに最も良い季節だとのことである。そこで、世界中から大勢のトレッキング客がやって来ていた。飛行機もロッジもほぼ満員で登山道を歩いている人も多かった。
  しかし、登山道周辺の草花が咲き乱れるのは雨季の6〜8月だそうである。有名なブルーポピーもこの頃咲くとのことであった。この頃は訪れる人も少ないと言っていた。

2.エベレスト街道
  
今回歩いた街道は古くから地元住民が利用していた。昔ながらの人手で道路整備をしており、道路整備のため募金箱が置いてあったので、わずかだが寄付をした。荷物はロバ、ヤク、ゾッキョ(ヤクと牛の交配種)や人手(ポーター)によって運ばれていた。大型重機を使って道路整備し、舗装道路にすることも可能だろうが、そんなことをすれば環境破壊が進み、地元住民の職が奪われることになる。まさかと思うがそのようにならないことを願うばかりである。
   チベット側では中国によりチベット側エベレストベースキャンプまで道路が出来、車が入れるようになったとのことであった。果たしてそれが地元住民の幸福につながるだろうか?車でやって来る安直な観光客を増やし環境破壊をもたらす可能性がある。

3.歩く速度
  
ガイドには”非常にゆっくり休みながら歩く”と最初に言ったが、当初はガイドはその余りのゆっくりペースについて行けないようだった。ガイドは先に行って適当な所で休んで待っていた。そこで、ガイドに休まず歩き続けると言って先に進んだ。後からガイドが追い付いてまた先に行くと言う事を繰り返した。急な登りでは特に息切れしないように一歩一歩ゆっくり歩を進め、2〜3時間一度も休まずに歩き続けた。他のトレッカーは次々と追い越して行ったが、彼らは休む回数と時間が多いようであった。結局毎日、ゆっくりと休まずに歩いた結果、ガイドが言っていた予定時間より30分〜2時間早く目的地に着いた。
 しかし、地元のポーターは驚くほど大きな荷物を背負って速いペースを持続して歩いて行く。とてもついて行けない。

4.高山病、救援ヘリ
 
 今回のトレッキングコースは標高が2500〜5500mで大半が3500m以上である。当然、高山病の恐れがある。高山病になったら標高の低い所に戻すのが原則で、さもないと死に至ることもある。かって、キリマンジャロでそのような例を経験した。自分の場合、過去の経験では高山に対する順応さえやれば5000m程度なら全く高山病にならならなかったが今回もそうであった。
  毎日、何回も救援ヘリが飛んでいるのを目にした。あれだけ大勢のトレッキング客がいるのなら高山病になる人も結構いるのだろう。そこで、救援ヘリの要請となる。救援ヘリはルクラに停まっていて要請が有ればいつでも出動する。しかし、救援費用の支払の保証が無ければ出動しないとのことであった。治療、救援の補償のある保険に入っていれば保険会社が支払ってくれる。救援ヘリを頼んでもその費用は保険会社が払ってくれるので安直に救援要請するケースもあるとの事も聞いた。当然であるが、救援ヘリの費用は標高が高くなればなるほど高くなる。標高5150mのゴラクシェプからだと8000ドル。それ以上標高が高い難しい山中ではさらに高額になるとか。

5.ガイド、ポーター
  
 今回、ガイド、ポーターのお世話になった。楽をして、また風邪をひいてもトレッキングを無事に終えたのはガイドのお蔭である。しかし、ガイドレスのトレッカー、ポーターとガイドを兼ねて頼んだトレッカーもいた。かなりの荷物を持っているトレッカーも見られらた。キリマンジャロでは必ずガイドとポーターを雇わなければならなかったが、ヒマラヤでは単独で行くことも可能のようであった。
   また、ガイドとの会話は英語でやったが、トレッキング中に日本語が堪能なガイドにも良く出会った。日本語ガイドなら日本語のみでトレッキングが可能のようであった。
   入山申請、許可(TMS)、及び入山チェックはきちんとやっていた。途中、何か所ものチェックポイントがあり、入山者の把握が行われていた。ガイドの話だと、チェックポイントではガイドのチェックもなされているとのことであった。ガイドレスでも行けないことは無いが、何かトラブルがあった時やロッジが混んでいて部屋の確保が難しい時、やはり良く知っているガイドがいると安心、確実である。ガイドの話では一人の場合、ロッジの事前予約は無理だとか。
   トレッキングと7000〜8000m以上の山を登るガイドとは区別があるようだが、トレッキングのガイドも国家認定の資格でA級、B級、C級とあるが、A級のガイドの方が良いと言っていた。

6.荷物
  
今回のトレッキングでポーターに預けたものが12〜13kg。自分でサブザックで持ったのが約3kg。軽い荷物で歩くのは実に楽だった。
  衣類、食料品など荷物を持ち過ぎで結局使わないものが結構あった。フリーズドライのご飯など日本食を持って行ったがこれも全く必要無かった。ロッジで出された食事をいろいろ変えて食べてみたが、いずれもおいしく食べられほとんど残すことは無かった。
  合わせれば約4kg位荷物を減らせたのではと思う。また、水も歩いている途中ほとんど飲むことが無かった。その代わり、食事時あるいは休憩時にコーヒーやレモンティーを2〜3杯飲んでいた。
  下着類は主として山用の即乾性のものを使用したが、汗をかいた後不用意に着たままでいたので身体が冷えて風邪が悪化する原因となってしまった。直ぐに着替えて濡れた下着は乾かしてから再度着るべきであった。このようにして何度か着た下着を水洗いして使えば数少なくて済んだ。