キリマンジャロ登山行
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(2008年12月11日〜12月22日)
 

   定年退職後、行きたかったところはアルプスオートルート(山スキー)、キリマンジャロ、カイラス(チベット)、マチピチュ(インカ)、大峰奥駆け(吉野ー熊野)などである。いずれも結構厳しい。4月にはオートルートに出かけた。

  今回(12月中旬)、キリマンジャロに出かけることとした。国内にある山岳ツアーを専門にやっている数社がキリマンジャロ登山ツアーを募集している。それらのパンフレットあるいはインターネットを見ると、燃料サーチャージは別で45万円前後から60万円くらいかかる。安いのは添乗員が同行しないが、高い方は添乗員が同行する。いずれの場合も現地のガイドなどが付いてキリマンジャロ登山を行なう。殆どのツアーは210名以上の参加者が必要だとのことであった。それらのうち、最も安い価額を提示していて、しかも一名でも受け付ける(当然添乗員などは同行しない)という案内があったE社にメールで2度ほど問い合わせたが全く返答が来なかった。

   現地アルーシャで大森さんという方がキリマンジャロ登山とサファリツアーをやっているツアー会社(Yembi Adventure)を運営していることをインターネットで知り、メールで問い合わせた所、一人でも、また日程もこちらの都合に合わせてやってくれるとのことであった。価額はドルベースで、日本のツアー会社に頼むよりかなり安いことが分かり、キリマンジャロ登山と一日のサファリツアーをお願いすることとした。ケニアのナイロビ空港着から帰りのナイロビ空港までのシャトルバスあるいは専用車での送り迎え、ホテルの宿泊(朝食込み)、キリマンジャロ登山(食事付き)、サファリツアーなどのすべてのサービス込みということなので安心できた。

   まず、HISで航空券を手配した後、正式に申し込んだ。大森さんからはキリマンジャロ登山についての必要事項、装備などのメールが入り、メールで送られてきた請求書に従い少し面倒だったがアフリカの大森さんの口座に銀行送金を行なった。また、郵送でケニア、タンザニアのビザを取得した。さらに、黄熱病のワクチンを東京検疫所で行った
(検疫所でワクチンを受ける人は若い人も、中高年も殆どが女性であることにはびっくりした)。また、6万円ほどをドルに両替した(最近の円高でかなり有利)。これで、後は荷物を詰めて行くだけになった。

1211() 晴れ
   昼までにすべての荷物とサブザックをまとめてミレーの60Lのザックにつめてすべて用意が出来た。重さを量ってみるとザックともで16.5kg。少し早いが、322分新桐生発の両毛号に乗り、北千住で乗り換えて地下鉄半蔵門線に乗り、押上で羽田空港行きに乗り換え、6時ごろに羽田空港着。夕食後、少し早いが指定のJALのカウンターにE−チケットを持っていくと、チェックインをしてくれた。ザックの中の一部をサブザックに移し、残りのザックを預けて身軽になった。JALの札幌行きのカウンター近くでは北海道にスキーに行くグループがいたので少し話しをした。一人はキリマンジャロに行ったことがあるとのことで懐かしそうであった。20時過ぎに搭乗。20時40分定時発。関西空港に22時00分着。すぐに国際線側に行き出国手続きして、エミレーツ航空ドバイ行きに搭乗。2315分発。

1212() 晴れ
   ドバイに朝555分着。未だ暗い。空港は広くてきれいだし、外を見ると町が開けていて活気がありそう。さすが石油で潤っている所と感心する。ドバイ空港のマクドナルドの店で、ポテトとコーヒーを買って食べる。3時間弱待ってナイロビ行きの飛行機に乗った。ドバイ行きは日本人客がかなりいたが、こちらの方は日本人客が殆ど見当たらず、当然のことながら、アフリカ人かアラブ人の客が殆ど。1045分発。

  ナイロビには
1455分着。入国手続きをした後、預けた荷物を取りに行った。横にいた若いケニア人から日本語で話しかけられた。彼は日本の大学(名古屋大学だったか?)に留学している留学生で、一時帰国したとのことであった。関西空港で乗り継ぎ時間が少なかったので、荷物が乗り継がれるか心配していたが、無事に着いて受け取って空港を出た(1530)。天気は快晴で気温は25〜30度くらいだろうか、少し暑いが湿度が低い。空港出口では、ケニアの旅行社のドライバー、ジャクソンが迎えに来てくれていた。

  空港で
20ドルだけケニアシリングに両替した。($20=1,500KyS)車に乗って今日のホテルComfort Hotelに向った。途中ドライバーと少し話したが、ケニアの政治情勢、治安状態について聞くと、何も問題は無く安全だと言っていた。彼から明日朝のアルーシャ行きのシャトルバスのバス停、会社名(Riverside)、予約番号、出発時間を確認しメモを取った。ホテルに16時着。ホテルにチェックイン。それほど良いホテルではないが、securityはしっかりしている。すぐにシャワーを浴び、靴下、下着を洗濯しながら身体を洗った。

  その後、服を着替えて近くをぶらついた。ホテルの隣は大きなスーパーマーケットで中をのぞいた。ケニアシリングの貨幣価値が良く分からないが、品物は豊富にあった。トロピカルフルーツなどは豊富であるが、野菜類は日本と共通なものが多いように感じた。その後少し通りを歩いたがこの辺りではそんなに治安が悪いと言う印象は無い。ホテルに帰ってホテルのレストランで夕食。ビール
(ヶスターというケニアのビール)と西洋料理に近いアフリカの料理を食べた。(750KyS)。

  夕食の終わりごろ、
2人の若い日本人女性が来たので、話した所若い方の一人は看護師で医学部の大学院一年生で、少し年取った方がその指導者であった。(後で分かったが、東大医学部の国際地域保健医療専攻で助教をしていた)。若い人はこれから、ケニアの地方でのHIVの状況について調査をするための準備をするために来たとのことであった。また、指導者の人はこれからケニアのボイというところまで車で行って、その地域の栄養、食物指導をするとのことであった。

1213() 快晴
   7時半にホテルをチェックアウトしようとすると、支払いの確認が取れていないと待たされた。ケニアの現地旅行社が予約、支払いをやっていてくれたはずであるが、連絡が不行き届きであったらしい。電話で連絡してやっと15分後に確認が取れてチェックアウト出来た。シャトルバスは8時発という事なので少し心配したが問題なくてよかった。

  ホテルのすぐ横にあるバス停ではアルーシャ行きのシャトルバスが何台か止まっていてお客と荷物を積んでいた。予約してあった
Riversideという会社のシャトルバスに乗りこんだ。バスはほぼ満員で、観光客と現地の人がほぼ半々位だろうか。815分過ぎに出発。始めはナイロビ市内を通り郊外に出た。道路は舗装されている。車が多く信号は少なく交通は混雑している。運転は大変なようである。車は日本と同じく左側通行である。かってイギリスの植民地であった名残であろうか。ナイロビ郊外を出てしばらくすると舗装道路が壊れており、工事中。代わりにその横のものすごい土埃がするダートロードを駆け抜けていく。ところどころ舗装道路に戻るが、工事箇所が多いようでダートロードでバスの中も誇りっぽい。周りの景色はカリフォニアやアリゾナの砂漠地帯のようで背の低いブッシュが多い。途中11時半ごろ、みやげ物などを売っているところで30分ほど停車して休憩。コーラを買って飲んだ。

  ケニアータンザニア国境でバスは止まった。バスを降りてケニアの出国手続きを終えると、一人の現地の若い人に呼び止められる。良く理解できなかったが、紙幣
4(多分4万タンザニアシリング)を渡されて、タンザニアに入るのにスタンプが必要でそのためにこれが必要だと言っているようであった。Changeかと聞くと、スタンプだと言う。I cannot understand what you say. と言ってそれらを返すと、さらにもう一枚渡してこれで50ドルだと、スタンプには必要だとさらに言ってきた。ビザはすでに取得しているし他にタンザニア入国に必要なものは無いはずなのではと思い、それらのお金を返してタンザニア側のゲートに向かい、imigration officeで入国手続きをしてバスに乗り込んだ。

  アルーシャに近づくとあたりは緑が多くなってきた。
14時頃バスはアルーシャのバス停に着いた。ここで降りると、メールで連絡があったように、Yembi Adventureのドライバーの出迎えを受けた。彼の車に乗ってすぐ近くのImpara Hotelに向かいチェックイン。なかなか良いリゾートホテルで、横にはプールがあり客が泳いでいた。昨日のナイロビのホテルと違い、部屋はゆったりしていてきれいで、シャワーだけでなく浴槽も付いている。すぐに、風呂に入り下着、靴下、シャツの洗濯をしながら体を洗い、土埃を落とした。その後、プールサイドのレストランでビール(キリマンジャロ)を飲みこのホテル特製というピザを食べて遅い昼食とした。

  その後、部屋に戻って明日からのキリマンジャロ登山に備えて、ポーターに持って貰うザック、自分で持つサブザック、ホテルに置いて行くものと分けて、荷物のパッキングをやった。
7時半過ぎに西洋料理などのレストランに行き夕食。ビール、サラダ、魚料理(アフリカ風の料理で結構おいしかった)、デザートのトロピカルフルーツを取ったが、食べすぎでお腹が痛くなってしまい、ついには胃腸薬を飲むことになってしまった。これでも、夕食代は日本円換算で、2000円以下で安い。10時過ぎに就寝。

1214() 晴れ、一時雨
   6時半起床、7時ビュッフェ形式の朝食(トロピカルフルーツがおいしい)8時ホテルをチェックアウト。大森さんが来られて挨拶。今回のツアーの話を少しした後キリマンジャロ登山の説明を受けた。さらに、ガイドのアロン、登山口まで連れて行ってくれるドライバーのピーターを紹介された。

  
8時半出発。950分モシ到着。街路樹にきれいな赤い花が咲いていた。途中で雪を被ったキリマンジャロの頂上が少し見えた。日曜日の午前中であるせいか、通りには着飾った人が目に付いた。この辺はキリスト教徒が多く、教会に行く人たちだとの事であった。モシではガイドが昼食を購入してきた。その後さらに車を進めてマランゲで、ガイドのアロンの家の近くで止まると、彼の一番小さな子供がやってきて車に乗ってきた。挨拶をしたが、にこにこしていて可愛い子供であった。

  10
45分にマラングのキリマンジャロ登山口に到着。ここで、入山手続きをして、地図と非常食用にビスケットを買った。また、ガイドにコックのジョンとポーターのモデスを紹介された。さらに、もう一人ポーターが付くとのことであった。入山手続きのノートをチラッと見ると、日本人も結構来ている様であった。また、ここ12日は一日に4050人前後が入山しているようであった。

  ポーターのモデスがザックに詰めた大きなザックを自分の荷物の上に担いで
(時々頭の上に載せて担いでいた)持ってくれた。自分のサブザックは軽い。今日のマンダラハットまでは。このポーターのモデスが同行してくれる事となった。1115分に出発。林の中の道は緩い勾配で広く実に歩きやすい。辺りは日本では全く見られない林で珍しかった。ボレボレ(ゆっくり)と歩いていった。30分ぐらい置きに大丈夫かと聞かれるので少しわずらわしい。客によっては山慣れない人がいる。自分は高齢者の部類である。大丈夫かと何度も聞かれるのもやむを得ないか。
   
  13時に昼食予定地のベンチのある所に到着。30分かけてゆっくりと昼食。1330分出発。14時半頃から、雲行きが怪しくなり、小雨が振り出す。折り畳み傘を差して林の中の道を歩いていった。15時ごろから雨はかなり降ってきて、ポーターあるいは他の人も雨具にしていたが、自分は少しズボンが濡れたが折り畳み傘のままで進んだ。1540分マンダラハット到着。この頃から雨が上がった。

  すぐにお湯を出してくれてコーヒーあるいはお茶が飲むことが出来て殿様登山だと実感。小さな山小屋が点々とある。自分は
10人ずれのインド人グループの内の2(ロンドンから来たと言う女の子とモーリシャスから来たと言う男の子)と相宿になった。4人用の小屋であったが、3人でも少し窮屈。標高2700mだが、それほど寒くない。

  コックが作ってくれた夕食をとった。山の中と言うことを考えればおいしいが量が多すぎ、胃の調子が良くない。同宿の男の子の鼾で始めは良く眠れず、サイレース
(催眠剤)を飲んだが、明け方近くには良く寝た。

         
 途中の林                          マンダラハット

1215() 快晴
    645分起床。7時半朝食。805分発。今日はガイドのアロンが先導。始めは林の中の広い緩い勾配の道を歩いていった。一時間ほどで林は切れて草原が広がってきた。キリマンジャロと隣のマウェンジの頂きが見えたが、そのうち雲が出てきて頂上は隠れてしまった。1015分休憩。10分休んで出発。さらに、1120分休憩。1130分出発。休んだのは2回で、1315分ホロンボハット到着。この日2番目。

  少し寝不足気味で調子は良くなかったが、歩いている内に問題なくいけた。ガイドのペースがゆっくりで丁度良かったかもしれない。到着後
30分休んで、昼食。お茶とピーナッツとポップコーンを出してくれて食事。至れり尽くせりのサービス。

  その後、ガイドの携帯電話で大森さんと話してサファリツアーを当初の予定のアルーシャ国立公園からレークマニエラ国立公園に変更して貰う。
4人用の小屋は今日は一人でゆったりしていたが、外に出てキーをかけたところ内側から鍵がおりて閉まったらしく、どうしても戸があけられない。ガイドに言ったところ、小屋のマネージャーが強引に外側から内側の鍵を壊して開けることが出来た。一時はどうなるか心配であったが事なきを得た。さらに、隣の別の小屋に代えてくれた。こちらも4人用を一人で使った。この間の手数料(チップ)を渡して欲しいとガイドに言われて、6ドルを小屋のマネージャーに渡した。

  6
30分から夕食。最後に食べたフレッシュなマンゴなどのフルーツがおいしかった。ガイドの持っている畑で取れたとかで、バナナ、マンゴ、トマト、キューリ、パイナップル、ギャバ、その他初めて聞いたフルーツなどを作っているとの事。 隣に若い日本人一人が食事をしていたので話をした。彼は昨日こちらに来て高度順応で一日ここに滞在して、明日上に上がるとの事。現地のガイドをインターネットで予約したとのことであったが料金はかなり安いようであった。ホテル、サービスなどはそれなりに大森さんのYembi Adventureより落ちるようだし、ガイドは全く日本語を理解しない。一方、自分のガイドのアロンは大森さん経由で頼んだのだが、日本人客への対応は慣れているし、日本語をある程度理解し、日本語をしゃべろうとした。

   8時頃、寝る準備をしていたら、ガイドが来て日本人の女の人が高山病になったようであるが、良く分からないので通訳してほしいと頼まれた。行ってみると、60歳前後の女性が苦しそうに「肺水腫のようで、肺が苦しく呼吸が良く出来ない」と、よろよろしながら話してくれた。肺水腫と言う言葉を英語で何と言うか知らなかったので、She has problems in her lung.  She said she cannot breath. とガイドとレスキューの人に伝えた。その上で、ダイアモックスを持っているので持って来ようかと言うと、付き添いのガイド、レスキューの人はダイアモックスは病気(高山病)の予防に役立つが、このような病気を治すのには使えない。下に下りるのが一番の方法だと言った。自分には高山病の知識は乏しく、これ以上のことは出来ないので申し訳ないが自分の小屋に戻った。なかなか寝付かれなく、今日もサイレース(催眠剤)を飲んで寝た。

    
    サルオガセのついた木          キリマンジャロ遠望             途中で見た花            森林限界の林



       
   途中で見た花               途中で見た花              ホロンボハット             ホロンボハットでの夕焼け

1216() 快晴
   550分起床。催眠剤のお陰で良く眠れた。少し寒いが、外に出てキリマンジャロ,マウェンジ、朝焼けを眺めた。気温は4度。この日から1日に2回、高山病の予防のため、ダイアモックスを飲むことにした(1回、125mg)。 

  
640分。大勢の人が集まって一輪車のカートで寝袋に包まれた人と荷物を降ろしているところであった。見ているとガイドのアロンが来て彼女は夜の2時半ごろ亡くなったとの事であった。昨晩お目にかかって話をした人なので本当にびっくりした。夜が明けたら下に下りるのか夜のうちに下るのか気になっていたが、まさか死んでしまうとは。高山病を甘く見ていたことを思い知らされた。この人のためにもっと何か出来なかったかと思うと気が重かった。この方、7人ずれで来たが、上のギボハットで気分が悪くなりサブガイド(ポーター)と一緒に夕方暗くなって降りてきたとのことであった。

   730分頃小屋の前で、もう一人の若い日本人にあって話をした。彼は2時頃トイレに行ったら、人が集まっていてその日本人女性が息も絶え絶えで口も聞けない状態であったとの事であった。彼は現地のツアー会社のキリマンジャロツアーに参加して、オーストラリア(?)からの女性2人、カナダ人夫婦、彼との5人で頂上まで行き、これから戻るとの事であった。

  750分朝食。810分過ぎに昨日の若い日本人一人と会う。これから上に上がるとのこと。天気が良くキリマンジャロ、マウェンジが良く見える。9時ガイドのアロンと軽いハイキングに出発。軽い荷物だがガイドが持ってくれる。10時、ゼブラロックに到着。確かにこの岩だけがシマウマのように岩が縦じま模様で珍しい。少しづつ雲がわいてきた。5分間休んで、反対側を登り1025分稜線上に上がった。正面のキリマンジャロの眺望が良い。1030分出発。稜線を降り、ギボハットに通じる登山道を下り1125分ホロンボハットに戻った。後は自由時間。

   12時昼食。スープとデザートの果物が旨かった。食べている時、2人の外国人女性が食堂に入ってきた。聞くと高山病でギボハットから上に登らず戻ってきたと言う。少し苦しそうであった。1330分頃、小屋で寝転がって文庫本のヘミングウェーの「キリマンジャロの雪」を読んでいたら、ガイドと日本人の方に呼ばれて話をした。この方は今朝なくなられた方のグループのツアーリーダーの方で、グループの他のメンバーの方と上まで行って戻ってこられたとの事であった。亡くなった方の昨晩の様子を聞かれた。簡単に様子をお話したが、見ていて気の毒であった。事後手続きのため、今日中に下山口まで降りてから、また戻ってくるとの事であった。山で事故があると本当に大変であると実感させられた。

   14時頃もう一人の日本人女性(グループの内の一人)と少し話をした。この人もギボハットで高山病で気分が悪くなり、登山をあきらめてホロンボハットまで戻ったが、吐き出して気分が悪く、早くおりたほうが良いのでガイドと一緒にマラングハットまで下りて行った。1430分、小屋に2人の若い日本人が入ってきた。彼らは今日来て明日上に上がるとの事。現地のツアー会社にインターネットで申し込んで来たとの事。値段を聞くと2人だから当然であるが安い。ただ、サービスは私が頼んだ方が良いようであった。

  夕食時、隣に座った
2人ずれと話した。彼らも明日キリマンジャロ登頂を目指すと言う。オーストラリアのアデレードから来たとの事で、ブリジストンのオーストラリアの会社に勤めていて日本にも何度か行ったことがあるとの事であった。彼らが言うにはブリジストンは今や世界一のタイヤ会社であるとの事。日本の自動車産業の強さを改めて感じさせてくれた。やはり、今日も催眠剤のサイレースを飲んで寝た。ただし、ダイアモックスの利尿作用のせいで夜中に何回もトイレに行かざるを得なかった。

                 
 ホロンボハットの朝焼け(キリマンジャロを望む)           ゼブラロック                      途中で見た花     

1217()18() 快晴
   620分に目覚める。640分起床。7時ポーターが持ってきてくれたお湯で手と顔を洗う。ありがたい。725分朝食。この時ダイアモックスを飲む。750分出発。925分、最後の水場で休憩。ドリンキングウォーターだという沢の水を少し飲んだ。10分休憩後出発。1045分、Saddle Pointで休憩。

  昨日、小屋でお目にかかった日本の若者に会う。彼はウフルピークに今日一番で上がり戻ってきたとの事であった。上で少し高山病気味であったと言っていたが元気そう。ギボハットから
6時間でウフルピークまで上がったが、ペースが速すぎたとの事。出来るだけゆっくり歩くようにと言われた。また、水は凍ってしまうのでテルモスを使うように忠告された。凍った水を飲めなかったので高山病になったようだとのこと。

  11
時に出発。その後一回休憩して歩き、12時35分にギボハットに着いた。疲れも無く良いペースで来て、この日一番の到着。お陰で良い位置のベッドを確保できた。その後、オーストラリア人の2人ずれ、韓国からの若者3人ずれと続々後続の人たちが到着して、同じ部屋(K3)に入ってきた。13時昼食。食後、ダイアモックスを飲む。その後あたりをぶらついて周りの景色を見ながらすごした。

   17時夕食。1830分就寝。サイレース(催眠剤)を飲んだので眠れた。真っ暗な11時半に起床。小屋の明かりがついて部屋の全員が起き出して、登頂の準備をしている.紅茶を飲み,ビスケットを食べて1150分出発。靴はこれまでのものと違い足首まで覆う軽登山靴。2本のストックを持った。真っ暗な登山道をヘッドランプをつけ、ガイドのアロンに従って上がっていった。他の登山者のヘッドランプが点々と見える。韓国の若い3人ずれは大声で歌いながら上がっていた。

  ガイドのペース
(普通よりは遅いペースなのだが、自分はそれよりさらに遅いペース) が自分のペースより早いので、時々,Please walk more slowly. と言うが、そのときは遅くしてくれるが、しばらくすると早くなってしまう。やはり、人それぞれ自分の歩くペースがあるということを実感した。ガイドとして遅いペースで先導して歩いているのに、それ以上遅くしてくれと言うのはこの客は疲れているのかなと思ったらしい。

  休みは途中2〜
3度取ったが、寒いし、ゆっくりペースで殆ど疲れを感じなかったのでテルモスの茶を飲んで日本から持っていった飴を口に入れたくらいで先に進んだ。上部の岩がごつごつした急斜面で少し足元がふらついたが、420分にGilmann’s Pointに到着。未だ、真っ暗であった。

  ここで、ガイドからどうすると聞かれた。ここまでで下山するかという意味で聞かれたと思い、ウフルピークまで行きたいと言うと、そのまま休み無しでウフルピークまでの山道を進んだ。ここで少し休んでから、ウフルピークに行きたいというべきであった。未だ真っ暗で足元は見難い。ほんの少し頭痛がするかなと言う程度で疲れはあまり感じない。

  こ
のまま行ってウフルピークに65分到着。先行のオーストラリアからの2が下山する所であった。韓国からの若い3人とは殆ど同時刻に着いた。丁度日の出で明るくなりだした。太陽が東の遠い雲間から上がりだし、ご来光を拝んだ。朝焼けがきれい。ウフルピークには10分ほど居て、下山についた。歩いている稜線の向こう側に見える氷河が美しい。帰りは明るいし、登山道は歩きやすい。途中、登って行く何人もの登山者に会った。

  7時
10分にGilman’s Pointに到着。ここで写真を撮り、少し休憩して降りに入った。丁度富士山の岩がごつごつした急斜面の登山道のようで歩きづらい。下のほうはやはり富士山の砂走りのようであった。ここで、ガイドと手を組んでストックをそれぞれ片方ずつ持ち、砂走りを駆け下りるような調子で降りて言った。火山砂がずるずる落ちるので歩きづらい。この降りで、ひざ、太ももの筋肉が痛くなってきた。結局、下のギボハットには815分に到着。ここの下りが今回最もきつかった。

   登頂に当たって、足が少しふらついた時あるいはほんの少し頭痛を感じたことはあったが、殆ど高山病にならずにすんだ。自分の体質、体調とダイアモックスのお陰か。9時まで小屋で寝転がって休んでから朝食。もっとゆっくりしたかったが、ポーター、ガイドの催促ですべての荷物をザックに詰めて、登山靴も履き替えて1020分にはギボハットを出発。

  今日上がってきたキリマンジャロ山頂、マウェンジなど辺りを見ながらのんびり歩いて降り、
1時にホロンボハットに到着。ももの筋肉が痛い。一時40分、一人でビール(キリマンジャロ)を飲んで登頂記念の乾杯、昼食。食堂ではこれから登る日本人のツアーグループ(1人+5)の人たちあるいは夫婦2人ずれに会って少し話をした。この日は同じように登頂して下ってきたオーストラリアからの2人ずれ、もう一人(話をしなかったのでどこの国か不明)4人用の小屋に相宿。

 
      ガイドのアロン             ポーターのモデス             キリマンジャロへの道          ギボハット

 
     ウフルピークで            ウフルピークでご来光         キリマンジャロ山頂の氷河       ギルマンズポイントで

1219() 快晴
   630分起床。キリマンジャロ登山行最終日である。今日も快晴。昨日登ったキリマンジャロや辺りを見回した。一人の白人女性が他の人に支えられてよろよろしていて一人で立っていられない。高山病のようで顔色は悪く気分が悪そうであった。その後、この方は一輪車のストレッチャーに乗せられて下っていった。

  
7時半に朝食をとり、準備をして8時に出発。珍しい花などの写真を撮りながらのんびり降った。筋肉痛で2本のストックを使って下りた。マンダラハットに1110分に到着。ここの食堂でお茶を飲み早い昼食をとった。マンダラハットを12時出発。出発間際にホロンボハットの小屋で一緒だった2人の日本人のうち一人とお目にかかった。彼らは丁度下りてきたとのことで、昨日はやはりウフルピークまで登頂したとの事であった。

   途中ベンチの有る休憩所で休んでいた所、夫婦ずれらしい人は来たので日本人ですかと話しかけたら、モンゴル人だとの事でいろいろ話をした。彼らはいろいろの国に行っている様で、今はアフリカに住んでいるとの事であった。いろいろ話している内に、つきそいのポーターが行きましょうと声をかけてきたので長い休憩をやめて歩き出した。ポーターとは歩きながら時々話をした。彼は登山シーズン(12〜3月、78)はポーターの仕事があるが、登山シーズンで無いときは仕事が無いとぼやいていた。それにしても彼に限らず、ポーターは重い荷物を担いで山道をハイペースで歩いていくことに感心した。

  マラングゲートには
1450分に到着。下山口には救急車が止まっていた。ガイドによると今日5回目の出動だとか。ここで、下山手続きをしてキリマンジャロの頂上(ウフルピーク)に登頂したという証明書を貰った。お世話になったガイド、コック、ポーターにチップを渡し、一緒に写真を撮った。その後、Yembi Adventrureの車にガイド、コック、ポーターと一緒に乗ってマラングまで10分ほど下り、そこの売店でビールを買って飲んだ。ここで、ガイドに封も切らずに残した非常食用のビスケット、飴及び使用済みの軍手(2日間使用しただけで未だ使える)を渡してさよならを言って分かれた。彼らはマラングに住んでいる。 

  さらに、Yembiのドライバーの運転でアルーシャの
1mpara Hotel17時に戻り、ホテルにチェックインした。明日朝、大森さんがホテルに来られるとの事。早速風呂に入り、体を洗い、下着、靴下、乾き安いズボン、シャツの洗濯をした。その後、ビール、サラダ、ピザで夕食。楽しかったキリマンジャロ登山を振り返った。

            
                                 ガイド、ポーター(2名)、コックと

 

1220() 快晴
    6時半起床。7時朝食。快晴。8時、大森氏と会ってキリマンジャロ行について少し話をした。8時半、ドライバーのピーターのガイドのもと、Lake Manyara National Parkに向う。途中、大きなみやげ物屋に寄り、みやげ物(民族楽器のムビラに似た楽器、店員はマリンバと言っていた。アフリカの音楽のCD,Lake Manyara National Parkのパンフレット、絵葉書き布製の飾り)を買う。宝石のタンザナイト(青色のサファイアに似た宝石)で小さな物の値段を聞いて見たら、その高価なことにびっくり。途中、道路上にいる亀を見つけてドライバーが車を止めた。すぐそばにマサイ族の子供2人が居た。ドライバーが彼らに話して水の入ったペットボトルを渡すとニコニコして亀を道路上から草むらの方に放してやっていた。

  途中の町でバナナやいろいろの果物を道路際で売っていたので、ドライバーは車を止めてバナナ一房を買ってきた。それをドライバーと一緒に食べた。バナナの味は万国共通で日本で食べるものと変わらない。

  
2時間ほどで公園のゲートに着き入園手続きをしてから公園内のダートロードを走りながら、いろいろの動物を見て写真を撮った。この近くはLake Manyaraのお陰で地下水はかなり上層にあり、水は豊富なせいで樹木、草が生い茂っている。そのため、比較的狭い範囲内であるにもかかわらず、いろいろの草食動物、肉食動物が生存できる環境にあるようであった。見られた動物で主なものは猿2〜3種、ヒヒ、象、ライオン、いぼいのしし、かば、ヌー、キリン、シマウマ、インパラなどであった。

  13
時にPicnic Areaに着き昼食。駐車場には10数台のサファリ用の車が駐車していたが、一台を除いてすべてトヨタのランドクルーザー。やはり、日本車(特にトヨタの車)の強さを感じた。250分に公園を出て(3時が入園制限時間)、しばらく上に上がり大きなバオバオの木を見て写真を撮った後、引き返した。帰り際にコーヒー専門店により、5種のコーヒーをそれぞれ250g買った。

  
17時半ホテルに戻った。ここでドライバーにチップを渡した。シャワーを浴びてから18時半に大森氏とホテルの前で会い、アルーシャで唯一の日本料理店である熊本と言うレストランに行き一緒に夕食。サファリに行き先を変更したための追加料金$50を払った後、いろいろの話をしながら過ごした。大森さんがここでやっていること、タンザニアなどの情勢に関することがいろいろ聞けて面白かった。客は白人客が多いようであった。またここの経営者は日本人(残念ながらこの方休んでいるとの事でお目にかかれなかった)だが、従業員は現地のアフリカ人女性。

  たまたま座席一つ置いて隣に座っていた女性
2人ずれに話しかけると、日本人で一人はこの近くの地域開発の専門家を育てる専門学校の先生をしている海外青年協力隊のメンバーで、専門学校では経済学を教えているとの事であった。こんな所でも活躍している若い日本人女性が居る事を知り頼もしく思った。ビールを飲み、巻き寿司とてんぷらを食べたが、代金は大森氏のおごり。お礼を言って大森氏の車で2130分にホテルに戻った。


        インパラ                   象                    キリン                  シマウマ

1221()
     本日はアフリカ最後の日。相変わらず快晴。620分起床。650分朝食。トロピカルフルーツはおいしい。荷物をすべてパックして容易が整った。728分にホテルのボーイが呼びに来た。730分にホテルのフロントの所でドライバーのピーターと落ち合う約束であった。少し早いかなと思いながら下に下りてホテルをチェックアウト。ナイロビ行きのシャトルバスはバス停を8時出発であったが、そのシャトルバスに接続して市内のホテルなどを回ってくシャトルバス会社(Riverside)のバスがなかなか来ない。10分前、5分前、2分前に何度もピーターに大丈夫かと尋ねても、彼は大丈夫、その内に来ると慌てた様子が無い。もっとも携帯電話で確認を取っていたようだが。

  接続バスは
8時少し過ぎてやっと来て、近くのバス停に連れて行ってくれた。そこで、ナイロビ行きのシャトルバスに乗り換えた。みやげ物をバスの窓の外から売りに来る男から、残りのタンザリアシリングを全部使って買おうとしたらそれでは足りないと言われ、持っていたケニアシリングを渡した。ケニアシリングの交換レートを良く知っていなかったので高い買い物についたが、円高の現状を考えればそれほどでもないかと納得した。

  結局バスは
820分に出て、タンザニアーケニアの国境を越えた。タンザニア側で出国手続きをしている時に、タンザニア旅行についてのアンケート調査を担当者より頼まれた。どこから、何人で来たか、歳は、旅行の目的、パッケージツアー、食事、みやげ物にいくらくらい使ったとかいろいろ聞かれた最後に、improveすべき点があったら言って欲しいと言われたので、キリマンジャロでの事故の話をして、是非救助用にヘリコプターを使って欲しいと述べた。担当者はそのことを書いていてくれたのでその内、実現することを願っている。同じことは大森さんにも話したが、そんなに裕福な国では無いので実現するのはそんなに簡単ではないようである。

  ケニア側に入りダートロードを通り抜け、バスはナイロビ空港に14時
10分に到着。1640分発のドバイ行きにチェックインして帰路に着いた。ドバイ行きの乗り場で座って待っていたら、先日ナイロビのホテルでお目にかかった女性が来られた。彼女も同じ便で東京に帰るとのこと。東大医学部の国際地域保健医療の講座で助教をしていて、今回ケニアのボイと言う所での栄養料理指導のボランティアで来られたとの事でいろいろ話を伺った。アルーシャで会った海外協力隊の方もそうであるが、少数かもしれないが若い日本人の方がアフリカでいろいろ貢献されているのを頼もしく思った。また、道を走っている車や、道路工事をしていた大形作業車は日本製が多いのも印象に残った。


   今回のキリマンジャロ登山では私一人のためにガイド1名、コック1名、ポーター2名が付いた。全くの殿様登山であったが、ガイドの話ではさらにポーターが一名付くこもあるとのことであった。このようなことは人件費が非常に安いから出来るのだが、キリマンジャロに入山するためには必ず雇わなければならない規則のようであった。高山病などが心配で登山客の安全のため、あるいはお客が必ずしも山慣れた人だけでは無いので必要であると言う面もあるが、雇用の機会が少ない現地の人に雇用の機会を与えると言う意味合いもあるようである。小屋泊まりなら単独行でも行けそうな気がしたが、今回、苦労せず楽しくおいしい食事つきでキリマンジャロ登頂が出来たのは付いてくれたガイド、コック、ポーターのお陰で彼らに感謝したい。