日本百名山
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深田久弥著の日本百名山が出たのは1960年代半ばの頃であろう。1967〜8年ごろ研究室の後輩で岩登りなどの先鋭的な登山をしていたAさんから大判でハードカバーの立派な本を借りて読んだ記憶がある。当時、深田久弥、串田孫一、田部重治、今西錦司、辻まことなどの山の紀行文を読むのが好きであったので日本百名山もその中の一冊として読んだだけで、そこに出ている山を全部登ろうなんて思っても見なかった。その後、1980年頃になって文庫本の日本百名山が出たのでそれを買って今でも持っている。その文庫本を見て夏休みの山登りはどこに行こうかと考える時に参考にした。

1984〜5年頃、札幌で学会があった後、小樽から夜行の船で利尻島まで行き利尻岳に登ったことがある。その時たまたま同じ船に乗った方と港から利尻岳の麓までタクシーの相乗りをして一緒に利尻岳まで上がったことがあった。この方は高校の教員を退職されたばかりだと言っていたがその人から「貴方も百名山をやっているのですか?私はこの後、羊蹄山と十勝岳に行きます。」と言われた。この時、百名山全部を登ることを目指している人がいるのを始めて知った。

1990年代初めに、地元の山でもある皇海山に登るため足尾から入り庚申山荘に泊まった時に、隣にいた2,3人ずれがあの人は隠れ百名山だとか話しているのが聞こえた。どうやら周りの人に黙って百名山すべてを登ることを目指している知人の噂話をしているようであった。そこで、再度、百名山登頂が一部の人の中ではやっていることを知った。
      一度、秋山郷から鳥兜山に登ったことがあるが、百名山の苗場山の方には大勢の人が行くのに、すぐ近くの鳥兜山は登山者が少なく、おやおやと思ったことがある。

私の日本百名山行

そういう自分も1990年代半ばくらいから百名山登頂を意識するようになり、百名山に載っていなければ決して登りそうもない恵那山、荒島岳、伊吹山などにも足をのばして2006年秋の九州の祖母山が100番目になった。ただし、大峰山は女人禁制の山上が岳は行っているが、最高峰の八経ヶ岳や弥山には行っていないので、厳密には百名山達成とは言えない。吉野から熊野に至る大峰奥駈で大峰山登頂すなわち百名山登頂としたいが、大峰奥駈は全長240kmの山道を踏破する必要がある修験者の道である。多分これは難しいので、八経ヶ岳や弥山を1泊2日くらいで行くことになるかな。

記録や写真を取っていないものが多く、行った時の状況、季節、大まかな年などは記憶の中にしかないものが殆どであるが結構良く覚えている。

   私の百名山行の中で特に印象に残っているのは屋久島の宮之浦岳で大学2年生の前期試験休み
(1962年10月)と大学4年生の夏休み(1964年8月)の2回訪れている。もう45年以上前の事である。当時は今ほど有名で無く登山者の数も少なかった。もう一度行ってみたいと思う反面、もう昔の良さはお目にかかれないと思うとなかなか行く気が起こらない。

私の百名山行は

.百名山登頂をすべて単独行でやった。もちろん、友人、家族と一緒に行った所は多いがそれでも一度は単独行で登頂している。

中学2年生の(1956年)に先生と一緒に日帰りで登った八が岳(赤岳)以来、2006年の祖母山まで50年もかかっている。前述の大峰山のことを考慮するとさらに長くなる。

3.日帰りが無理の場合、すべてテント泊でやっている。もちろん、小屋泊まりで行ったこともあるが、それでも一度はテント泊(縦走など)で行っている。

4.八甲田山、至仏山のように雪のある時期にスキーでしか登ったことが無い山がある。また、乗鞍岳、燧岳、巻機山、四阿山、谷川岳、白馬岳、武尊山、富士山のように無雪期は1,2回しか行って無いのに、山スキーでは何度も行っている所もある。