山スキー考

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    I. 私の山スキー事始

大学生の時、ゲレンデスキーの講習を2度受けてボーゲンとシュテムクリスチャニアを何とか出来るようになった。そこで友人達とゲレンデスキーに1,2回出かけた。

   1966年の大学院1年生の時の冬、学内の掲示板に「3000mの稜線を滑ろう」と言うキャッチフレーズのポスターが目に付いた。3月の春分の日と日曜日をはさんで、乗鞍の冷泉小屋に泊まり3泊4日だったか4泊5日だったかで山スキーの講習をやり、肩の小屋まで行くというものであった。大学の運動部の元締めである団体が主催していて、スキー山岳部の現役、若手OBが指導、ガイドをやる山スキーの講習会兼ガイドツアーであった。多分部費稼ぎの意味もあったのではと思う。参加資格はゲレンデスキーをある程度こなすのが条件であったように記憶している。そのキャッチフレーズに惹かれて参加を申し込んだ。事前に座学の講習があり、シールを購入してシールの処理の仕方、シールのつけ方などを習った。当時のシールは今と違って貼り付け式は無く紐で固定する方式であった。

    夜行列車で松本まで行った後、乗鞍スキー場までバスで行き、リフトに乗った後シールをつけて鳥居尾根を上がり冷泉小屋まで行き宿泊した。当時は今のようにリフトは上の方まで行っていなかった。講習ではシールをつけた登り方やゲレンデのように整地されていないところでの滑り方を習った。最終日の前日には肩の小屋までハイクアップして滑る予定であったが、天候が良くなく位ヶ原の途中で引き返したのではと思う。帰途の林間の滑りも面白かったように記憶している。この講習で山スキーの魅力を感じた。


     その後、研究室の後輩でワンゲル出身のFさん、Iさんと一緒に、高峰高原から旧鹿沢温泉までの7千尺コースや巻機山に山スキーに出かけた。さらに、少し自信が付いた後では、単独で八幡平、八甲田、巻機山、乗鞍岳、白馬乗鞍岳、蓮華温泉に行くようになった。

   しかし、山スキーシーズンは3月の春分の日から5月のゴールデンウィークまでの雪が締まった時だけであると思っていたので、山スキーに出かけるのは年に1〜3回程度であった。それでも、ほぼ毎年40年以上にわたって山スキーを続けてきた。特に、20年前に群馬県に住むようになって山スキーのサイトに近くなったので、山スキーに行く回数も多くなった。

   II.山スキーのガイドブック、情報

   
最近は山スキーに関する情報は、インターネットを介して山スキーMLや、多くの個人や団体の関連するWeb Siteを見て様々な情報が容易に得られるようになった。特に、山スキーMLは大きな情報源になっている。しかし、10年以上前はそういうわけにはいかなかった。

     6,7年前にRSSA(スキーアルピニズム研究会)に入会したが、殆んどすべて単独行で山スキーを楽しんでいる自分は、山スキーは全くの我流で、行き先はガイドブック、雑誌(山と渓谷、岳人などの山スキー特集記事)を参考にして行った。技術的なものも解説書を参考にしたが、基本的には経験的に実につけるやり方であった。ただし、 雪崩に関する学習、ビーコンの使い方は独習では難しかったので、講習会に参加して教えて貰った。

山スキーのガイドブック

    初めはの1860年〜1970年代は奉文堂から出されたガイドブック(名前も忘れた)を参考にしたが、さすがに古くなり、破れてきたので20年位前に捨ててしまった。現在、持っているガイドブックを以下に列挙する。

  1.山下喜一郎、「全国特選スキーツアー案内」、実業之日本社、(1974)
     今でも、ポピュラーコースの記述が多いが、白馬岳大雪渓往復は日帰りでは無理とある。ただし、GW期間中は頂上までヘリコプターで行け、ヘリスキーを楽しめたようである。1070年代とは随分状況が変わっているなと思う所も多い。

  2.青柳祐樹他、「山スキールート図集 1,2」、白山書房 (1981)
   
  3.スキーアルピニズム研究会(RSSA)、「山岳スキーコースガイド」、たいまつ社 (1981)

  4.北田紘一、「日本スキーツアールート集」、山と渓谷社 (1994)

  5.菊池哲夫、「スキーツアー」、山と渓谷社 (2001)

  6.佐藤明、「リフトで登る日帰り山スキーガイド」、白山書房 (2003)

  7.Powder Guide 編集部、「バックカントリー120ルート」ユーリード出版 (2004)

  8.岳人編集部、「ハイグレード山スキー最新ルート集」。東京新聞出版局 (2007)

   時代が進むにつれ難しいコース(体力的にも技術的にも)の紹介が多くなっていることが分かる。これらの他、RSSAの会報「ベルクシーロイファー」を参考にしたこともある。

山スキーの技術、入門書(コースガイドもあるものもある)

 
1.佐伯邦夫、「実戦現代山スキー」、東京新聞出版局 (1978)

 2.北田啓郎、「スキーツアーのススメ」、山と渓谷社 (1993)

 3.北田啓郎、「スキーツアー入門とガイド」、山と渓谷社 (1988)

 4.エイムック、「バックカントリーハンドブック」、えい出版社 (2003)

 5.橋谷晃、「ネイチャースキーに行こう」、スキージャーナル社 (2002)

 6.中山建夫、「雪山に入る101のコツ、バックカントリー入門」、えい出版社 (1998)


   本だけは色々買って読んだが、適当に飛ばし読みをしたところが多いのでどれだけ実についたか誠に怪しい。それでも、これまで大した事故に遭わなかったのは運が良かったとしか思えない。


  III.山スキー用具の変遷

  山スキーの用具も以前と比べて随分進歩したものだと感ずる。

スキー板
  ゲレンデ用もそうだが、細くて長い板から短くて太いカービングの板になり、滑り安く回転も楽であり、また怪我が少なくなってきた。また材質も新素材となり軽くて強いものになった。

  
現在、私が使用しているスキー板は、ゲレンデ用のもを流用しているものが多い。ゲレンデスキーも山スキーも共用している。

 1.アトミック バース 7 (150cm),  ディアミール
 2.アトミック シュガー ダディー (165cm) ディアミール フリーライド
 3.フォルクル マウンテイン (163cm) ディナフィット TLT


ビンディング:
  40年以上前は山スキー用のビンディングは無くワイヤー式のカンダハーが主として山スキーで使われていた。私は当初カンダハーはセーフティーの点で心配があったので、ワイアー式であったが靴の先端を止める部分が大きかったセーフティーのビンディングを使った。と言うより安物のゲレンデ用スキー1台を持っているだけであった。しかしこのビンディングでは少し急な登りになると使えずスキーを担いで歩いた。ワイアー式で山スキー用のジルブレッタのビンディングが出たのはその少し後でないかと思う。

  その後1970年代半ばからビンディングとしてビネッサFH、次いでエメリ クロノ、さらに現在のディアミールを使うようになった。ゲレンデでもこれら山スキー用の板を使ってきた。

  年取って登りがつらくなってきたので、最近、軽いビンディングのダイナフィットTLTを軽量の板につけたスキーを購入した。

  山スキー用のビンディングは随分進歩し、使いやすくなったものだと思うが、高価であるのが欠点。シーズンオフになっても値下がりしない。

シール:
  昔はアザラシの毛皮をシールとして使ったのでアザラシの英語名を取ってシールと言う。しかし、英語ではスキンあるいはクライミングスキンと言っている。数年前に立山で本物のアザラシのシール(紐で取り付ける方式)を使っている人を見て驚いたことがあった。
  40年以上前でもアザラシのシールなど珍しかった。当時から今でも、シールはナイロンかモヘア製だが材質は進歩しているのではと思う。取り付け方式も以前は紐で取り付けるやり方であったが、今は糊で付ける貼り付け方式である。これも化学合成の糊の技術が進歩したお陰である。


靴:
  今は山スキー用の兼用靴があり登りも下りも兼用靴だと楽である。1960年代は兼用靴など無かったので、登り重視の人は皮製の登山靴。滑り重視の人はやはり皮製のスキー靴を使った。しかし、スキー靴は皮製からプラスチック製になり、また登山靴も冬用はプラスチック製となった。これも、プラスチックの製造技術、加工技術が進歩したお陰である。

   私は当初は皮製のスキー靴、次いでプラスチック製のスキー靴あるいは皮製の登山靴で山スキーに行った。1980年頃から兼用靴が手に入るようになり、高価であったが思い切ってコフラック バルガライトを購入した。この靴は非常に履き心地が良く壊れなかったので随分長い間使用したが、さすがに10数年使うといろいろ不都合な所が出てきたので、SCARPA(品名は忘れた)に変えた。

  現在はSCARPA(アバント)とGARMONT(メガライト Mg)を使っている。兼用靴も随分進歩したものだと思う。

III. 単独行について

   私は山登りもそうだが、山スキーも単独で行くことが多い。多くの本(特に入門書や解説書)には危険なので、単独行は厳禁であると書かれている。確かに何か事故やトラブルがあった時には一人だけでは対応が付かない。新聞などで、単独行の山スキーヤーの死亡事故の記事などを見ると他人事とは思えない。

    同好の人と言った方が楽しいかもしれない。それにもかかわらず、一人で行くのはなぜだろうか?その理由や単独行のメリットを考えて見る。

1.身近に同行者がいない
   山スキーは楽しいが、それなりの体力と技術が要るし場合によっては危険を伴う。教育的な観点あるいはガイドツアーで一緒に行くのならともかく、楽しみながら行くとすると体力と技術がそれほど大差が無くそれなりの信頼感のある人と同行しないと面白くないしまた危険でもある。

   身近に同好者がいなかったため、単独行が多く単独行のスタイルに慣れてしまった。しかし、山スキーの途中で出会った人と同行したリ、後日その方とメールで連絡して同行するのも楽しいことことである。連絡もしないのに1シーズンに3度も同じ方々と山中や登山口で会った事もあった。

   やはり、たまには同好の士と一緒に行きたいと思い、RSSAに入会した。

2.、行き先や行くかどうかを自分だけの判断で決められる
   山スキーを行こうと思っても、5月のゴールデンウィークの時などを除いて実際に行くことを決めるのはせいぜい一週間前のことが多い。しかも行き先は前日あるいは極端な場合当日の朝の天候、体調によって行くかどうか、あるいは行き先の変更をすることが良くある。

   冬型の気候で朝起ると良く晴れている時、北の赤城山が雪雲で覆われているのに、西側の真っ白な浅間山がくっきりと見えることは良くある。こういうときには信越の湯の丸山、四阿山、根子岳などは晴れているので山スキーに行くことになる。

3.単独行なので慎重になる
   山スキーでの事故で多いのは、雪崩、滑落、ルート間違い(ホワイトアウトなど視界不良の時に多い)に基づくものであろう。大事なことにはならず事故とも言えないが、私自身そのいずれも経験している。そこで、特に雪崩や滑落が起こりそうな所は単独行の場合近づかないように気をつけている。むしろ同行者がいたときの方が気が大きくなって慎重さが欠けるような気がする。「赤信号、皆でわたれば怖くない」と言う言葉があった。

   ルート間違いでも、間違ったと気づいた時はすぐ引き返すのが鉄則であるが、時間的な制約や降雪や強風でトレースが消えて引き返すことが難しいこともある。

   最近ではGPSがあるのでルート間違い、道迷いなどの心配が殆ど無くなったが電池切れ(特に低温で著しい)には注意が必要と痛感している。