オートルート(シャモニ-ツエルマット山スキー)行
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(2008年4月10日-4月23日)   

2008年3月末日をもって定年退職である。定年退職を記念して、オートルート山岳スキーに行こうと計画した。オートルートをスキーで走破するためには、ガイドツアーに参加するのが一般的である。ガイドレスの記録も無いでは無いが、ルートもよく分からない者が単独で行くのは無理である。

    日本ではA社がオートルートのガイドツアーを募集していた。日本人ガイドと現地シャモニのガイドが付いて行うツアー(この場合英語が出来なくても、日本人ガイドが通訳してくれるが、当然料金は高くなる)と、現地シャモニガイドのみで行うツアー(この場合ツアー中は英語でやりとりすることになる)と2種類ある。ただし、後者の場合でも、航空券の手配、ホテル、交通機関、現地ガイドの手配、斡旋、予約などはすべてA社がやってくれて、現地でも日本人スタッフによるサポートがある。A社のツアーは3月中旬、4月上旬、4月下旬から5月上旬のゴールデンウィークの3回募集していた。オートルート行の前にシャモニでバレブランシェのスキーがあり、6日間のオートルート行の後ツエルマットで2日間の自由行動の日があった。

      一方、シャモニのガイド組合がインターネットで国際的にオートルートなどの山岳スキーツアーを募集している。こちらは国際的な混成グループでオートルート行を行う。当然、コミュニケーションは英語となる。シャモニのガイド組合に直接応募した方が料金はかなり安くなるが、言葉の問題があるし、いろいろの手配はすべて自分でやらねばならない。、シャモニのガイド組合のオートルートスキーツアーは毎週日曜日にシャモニを出て、金曜日にツエルマットに到着して終わる。

      この他、プライベートツアーを直接ガイド組合に申し込むか、A社を介して申し込めば、自分たちにあった日程、ルートを組んでガイドツアーを行うことも可能であるが、ガイドの料金は日程、ルートにより異なってくる。4〜6名のグループの場合プライベートツアーでも一人あたりのガイド料はシャモニガイド組合の公募のツアーとほぼ同額のようである。

      12月下旬にA社に電話したところ、4月上旬のツアーは応募者が予定人数いるので行いますとのことであった。1〜3月の定年間際の諸々の行事、仕事の忙しさを考えたら、A社にすべてお任せでやる方が面倒でなくて良い。また、国際的な混成グループで日本人は自分一人になる可能性もあり若干心配である。そこで、A社の4月4日からのツアーを申し込んだ。ところが、3月上旬に突然A社から電話があり、予約していた3人がキャンセルしてきたので、予定人数に達せずこのツアーは中止しますとのことであった。今更、そんなことを言われても困ると言いたかったが仕方がない。オートルートは是非4月には行きたい。そこで、シャモニのガイド組合へインターネットによる予約、HISへの航空券の手配、ジュネーブ、シャモニのホテルの予約などを急いで行った。その際、あまり確認しなかったのでホテルの予約の日取りを間違えてしまい、無駄な出費をしてしまった。取りあえずすべての予約を急遽行い4月10日に出国し23日に帰国することとし、13日からのシャモニガイド組合のオートルートガイドツアーに行けることになった。

4月10日
      
朝5時前に起きて、桐生駅発成田空港行きの5時40分発のバスで出た。スキーとかなり重いザックがあるのでバスで直接空港に行けるのは便利であった。成田空港に9時前に着き、早速KLMのカウンターに行き、チェックイン。スキー、ザックを預けて身軽になったところで朝食を取り時間を過ごした。飛行機は11時半に出た。格安の航空券で残り一枚と言われたのを購入したので、座席は後部で回りは海外旅行ツアーの中高年の団体客が大部分であった。アムステルダム空港に16時10分に到着。ジュネーブ行きの飛行機は20時25分発で、4時間近く空港で待つことになった。21時50分にジュネーブ到着。降りて、荷物を受け取る場所でザックを受け取ったがスキーが来ない。スキーをもっている人にスキーはどこで受け取ったかを聞いたら、別の場所に置いてあるとそちらの方を指さして教えてくれたのでそちらに行ってスキーを受け取り、タクシーで予約してあるホテルに向かった。ホテル(Stars Geneve Airport)にチェックインし、シャワーを浴びて催眠剤を飲んで眠りについた。

4月11日
      
朝7時頃目が覚めて外を見ると小雨が降っている。憂鬱な気分で直ぐに起き出す気分になれない。7時半に起きて朝食を取りもたもたしていると8時過ぎになってしまった。8時20分頃ホテル前のバス停からジュネーブ駅行きのバスに乗った。駅前も相変わらず小雨が降ったりやんだりしていた。雨が小降りになった合間にシャモニ行きのバスが出るバス停までわずかな距離だがスキー、ザックを担いで歩いていった。シャモニ行きのバスは8時半の次は11時発だと言うのでそのバスに乗ることにし、往復の切符(55ユーロ)を購入した。バスは15分以上遅れてやって来た。客は、自分以外は空港から来た3人で全員スキー客のようであった。雨がかなり激しく降ってきた。シャモニの駅には13時前に到着した。小雨の中を歩いて宿泊予約をしているホテル(Hotel Le Chamonix)まで行き、チェックインしてほっと一息ついた。その後、通りに出て昼食を取った後、スーパーマーケットでトマト、果物、ビール、ナッツ類を買ってホテルに戻った。夕方、ホテルの直ぐ近くにあるガイド組合のオフィスに行きオートルート行について聞くがあまり要領を得ない。とりあえず明日のバレブランシェのガイドツアーを申し込んだ。ケーブルカー代(50ユーロ)、ガイド料(70ユーロ)を払った。結構高い。夕食後、ホテルに帰ってシャワーを浴びて床についた。途中で目覚めてからはよく眠れなくなってしまった。外を見ると雨からみぞれにかわっていた。また睡眠剤の世話になった。

4月12日
      
朝6時頃から目覚めうつらうつらしていた。外を見ると雨は上がっているが、曇っていて山の方は全く見えなかった。7時半から朝食を取った。食堂には日本人が一人いた。その人はIさんで、4人のグループで日曜日からのオートルート行に参加するとのこと。よろしくと言って少し話をする。8時45分集合のバレブランシェのガイドスキーに間に合わせるように、急いで支度をしてエギュードミデに行くロープウエーの駅前に行った。大勢の人が集まっていた。ガイドツアーの客も10人以上がいるようで、殆どが20代後半から30代後半くらいで、イギリス、オーストリア、カザフスタン、フランスと国籍もいろいろであった。ロープウエー2本を乗り継いでエギュードミデの上に着いた。この頃から天候は回復して空は青空となっており、陽が差してきた。直ぐそばに針のような尖った頂きが見えた。ここで、ガイドが用意したビーコンとハーネスを付けて急な斜面(ロープが張ってある)を降りた。新雪のパウダースノーが積もっており危険では無い。降りたところでスキーを着けて少し滑り降りた。ここでグループ分けをしたが、自分だけは年寄りのせいか、待てと言われて若い人のグループとは別にされた。後で気づいたのだが上級コース、中級コース、初級コースの3つに分けてガイドツアーをするようであった。初めはよく分からなかったので、若い人の上級グループの後、中級グループの最後について行きかけたら、最後のグループのガイドが急いでやって来て前をふさぎ、何故Goと言わなかったのに行くのだと注意された。最後に転びながら滑ってくる老人(私も老人ですが)と2人で一緒に初級コースを行くように指示されてしまった。この方、ニースから来たと言う70歳の方で、ゲレンデスキーは30年以上の経験があるが、オフピステで滑った経験が無いとのことで、少し急な新雪斜面では何度も転んでいた。20cmくらいの比較的軽い新雪で、非常に滑りやすい手頃な斜面が延々と続いていたが、ちょいちょい止まって待っているので少し興がそがれた。ガイドによると、バレブランシェでは幾つかのルートがあるがこのルートが最も楽なコースであると言っていた。こういう好条件の時に滑るには物足りないルートであったが、明日からのオートルート行のためには良いウオーミングアップだったかも知れない。途中で休憩して昼食をと言われたが、前日このガイドツアーを予約したときには何も持ってこなくて良いと言われたし、午前中で滑り降りる予定であったので水も食料も持ってこなかった。そこで、水とサンドイッチをガイドとこの方から有り難く分けてもらった。その後、延々と続く緩斜面を滑りスキー終了。スキーを持って階段を上がりロープウェーに乗って上がり、シャモニ行き登山電車(13:30発)に乗りシャモニ駅に戻った。ガイドと3人でビールを飲み少し話をした。この方はバレブランシェを初めて滑れたと非常に喜んでいた。

      
その後、町をうろうろしたが観光客が多い。ガイド組合の方に行ったら朝食時にお目にかかったIさんを含む日本人の4人の方にお目にかかった。山岳保険(Carte Neige)に入った所だとのことで、自分も59ユーロ(少し高い)出して山岳保険に入った。6時半にガイド組合のオフィスに集まりオートルート行の説明を受け、荷物のチェックを受けた。ハーネス、ビーコンは必携でこれらは持参していたが、他にシャベル、プローブが全員に渡された。その他一部の人にはピッケルが渡された。ビーコンを持参していない人にはビーコンが貸し出されたがハーネスは購入するように言われた。これらの物について持って行くかそうでないかはガイドの判断に任されているようであった。しかし、ハーネス、ビーコンは必需品のようであった。また、2日分の昼食として、パン、チーズ、チョコレート、クラッカーなどの入った袋が配布された。

      同行者は全部で12名、ガイドが2名(フランクとクリストフ)付くとのこと。参加者の12名の内訳は(フランス人が4人(Araelle, Pierr, Renaud, Jean-Lowi)そのうち女性が一人, (Araelle)、ベルギーから一人(George)、アメリカのニューヨークからSteve、アメリカ人のお医者さんでフランクフルトの病院勤務のPeterの他、日本人は自分以外にUさん、Iさん,Mさん、Hさんのグループ4人(全員50代の山スキー仲間で勤めの休暇を取ってこられたとのこと)であった。日本人は自分一人かも知れないと思っていたので心強かった。日本人の4人のグループ以外は私も含め全員単独で申し込んでいた。また、Uさんの話では4人集まればプライベートツアーを同じ料金でガイド組合に申し込むことが出来るが、国際的な混成グループでオートルート行をやった方が面白いであろうと公募ツアーに申し込んだとのことであった。Steveと日本人の5人以外は全員20代後半から30代後半までで、体力的にはかなりの差があることが後で分かった。この後、同行する日本人のグループ4人と夕食を取って歓談した。

         
  エギュードミディーを下る          アルプスの山遠望           ガイドと同行者             ガイドと

4月13日
      朝は少し曇っていたが直ぐに晴れだした。8:00にグラモンテに行くロープウェーの駅の所に集合なので、朝食をとらず7:00にホテルを出て、Uさん、Iさんと7:20発のバスに乗った。残りの2人は8:30からのオープンするスキーショップでスキーをレンタルするために後から行くことになった。8:00集合のはずであったが、集まっていたのはただ一人。ガイドの一人とその他の人が来たのは8:10。これでは無理に急がないで次のバスでも間に合った。もう一人のガイドは未だガイド組合にいるとのことで、2人を拾って後から車で来ることになった。最初のロープウェーに乗り、降りたところで後続の3人を待った。天気は快晴となり広いゲレンデが見渡せた。3人が到着後、もう一つロープウェーを乗り継いでグラモンテの上に着いた。直ぐに急斜面を滑り降り下まで休みなしで滑っていった。雪は新雪で足首から膝下で標高が高いせいか比較的軽く滑りやすかった。途中休み無しで足が痛くなり疲れて姿勢が悪くなり転んでしまった。その後シールを付けて緩い登りでアルジェンチールの小屋(2771 m)に到着した。ここで必要ない荷物を置いてCol du Tour Noir (3535 m)までハイクアップ。2時間かかったが、結構つらかった。欧米の若い6人は強く、そろって先に行った。後続の6人のうち、4人は途中で止めた。自分は疲れたが取りあえずコルまでIさんに続いて上がった。反対側の景色が素晴らしい。写真を撮りシールをはずしてスキー。雪は少し重いが滑りやすくどんどん滑り降りて行き,先行のIさんの後を滑った。Steveは少し遅れたので、こちらは休みが取れて有り難かった。小屋に戻りビールを飲んだ。天気は良く夕食も良かった。毛布は11枚でスペースは若干狭く、窮屈な感じはしたが、日本の最盛期の山小屋に比べたら十分は広さであった。

              
       アルジェンチール小屋に向う          コルまでのハイクアップ            コルからの遠望

4月14日
      朝7:00起床、7:30朝食。8:00出発。朝から雪が降ってガスが出ており視界は良くない。今日の予定のCol du Chardonnet 越えは変更して、下にスキーで降りることになった。雪混じりで視界は悪いが新雪のパウダースノーで快適に滑り降りた。アルジェンチールまで降りて、車が迎えに来る間にビールを飲んで過ごした。迎えの車でシャンペまで行き、小さなホテルに宿泊した。昼食を食べてからビーコン操作の講習と実習をやった。夕食後、シャワーを浴びて床についた。部屋はベルギーから来たジョージとの相部屋。外は雪が降っていた。

4月15日
     
 朝7:00起床、7:30朝食。8:00出発。車でベルビエールまで行き、ロープウェー2本を乗り継ぎ、La Chauxまで上がった後、スキーで少し滑り降りた。Col des Gentianesまで上がり、スキーで少し滑り降りた。天気は曇り、小雪だが次第に晴れてきた。シールを付けてCol des Chaux (2940 m) まで上がり、Chauxの氷河を滑り降りた。さらにシールを付けてCol de Momin (3059 m) に上がり急斜面を滑り降りた。シールを付けてさらにハイクアップ,小雪混じりで、視界はある程度あるがガスで遠くは見えない。ロザブランシェ (3336 m) 頂上直下でスキーを置き坪足で上がった。遠方は見えないが取りあえず頂上。下りはガイドの用意したロープの助けを借りて降りた。ロザブランシェからはパウダースノーとパウダースノーが風でパックされた少し硬い斜面で全員快調に滑り降りた。下に降りてからシールを付けて歩きプロフリー小屋に着いた。小屋は新しく清潔な感じであった。シャワーもあるがこれは有料。トイレも水洗。寝るスペースも最初のアルゼンチール小屋より少し広い。夕食はスープ、サラダ(ポテト、にんじん、豆)、肉、デザートで結構おいしかった。就寝は9時前。本日は小雪が降り、天候は良くなかったが、スケジュール的には当初の予定通り進んだ。

             
     ロザブランシェへの登り         ロザブランシェへの登り     ロザブランシェからの降り        プロフリー小屋

4月16日
      5:40起床。6:00朝食。6:30出発。朝が早い。雪崩の恐れがあるための早立ちか?シールを付けてハイクアップ。Col de Roux(2804 m)に8時前に着いた。シールをはずして少し滑り降りた後はDix湖の横を長いトラバース。湖のはずれでシールを付けて上がり、Dix小屋(2928 m)に12時前に到着。本日の予定はこれで終わり。ビールを飲んで1:00頃昼食。その後はぶらぶらしていた。Iさん、Mさん、Peter, Araelle らはガイドのフランクとともにさらに滑りに行った。目の前にあるコルまで2時間くらいかけて上がり15分くらいで滑り降りてきたとのことであった。後で聞いたら雪も非常に滑りやすく快適だったとのことで、自分も行けば良かったと思った。夕食後、2段の上の方で寝たが、隣のドイツ人のいびきがうるさくて催眠剤を飲んだ直後の一時間は良かったが、後が眠れず寝不足となってしまった。本日は快晴で気温が低かったが、風も無く寒さを感じなかった。昨日降った新雪が非常に滑りやすかった。

           
      朝出発の準備           朝、ジョージと             ディス湖を過ぎた所で休憩        ディス小屋

4月17日
      
朝、寝不足で調子が良くなかったが、5:30起床。6:00朝食。6:50出発。始め少し滑り降りた後、シールを付けてハイクアップ。天気はまあまあで遠方がよく見えていたが、上がるにつれて風が強くなってきた。かなり上がった所でクトーを付けてピンダローラの頂上を目指した。風が強く寒く、見通しが悪くなってきた。クトーをはずして最後はシールで上がり頂上に達した。これが今回のオートルート行では最も標高が高い所で(3797m)、富士山より少し高いことになる。シールをはずして頂上から滑り降りたが、風でパックされた新雪が大きく波打っていて、短い自分のスキー(150cm)では滑りにくく疲れた。滑り降りてからトラバースしてビニェット小屋(3160 m)に12:30に着いた。その後、昼食。ビールを飲んでUさん達と談話した。9時頃就寝。夜風が強く窓際に寝たので窓ががたがたと鳴る音がしていた。昨日よく眠れなかったので、催眠剤を飲まずによく眠れた。

         
    ピンダローラを望む           ピンダローラに登る途中で     ビニェット小屋へのトラバース     ビニェット小屋

4月18日
      
朝5:30起床。6:00朝食。6:30出発。今日は最も足が遅いSteveのペースにあわせてガイドがゆっくりと行った。Steveがガイドの後を行き、その後他のメンバーがゆっくり進んだ。風はかなり弱くなったとはいえ時々強く吹いた。また、時々ガスがかかり、見通しはあまり良くなかった。最初トラバース気味に滑った後、シールをつけてCol del'Eveque(3392 m)までハイクアップ。シールをつけたままわずかに下り、またわずかな登りでCol Collarzに到着。ここで、足の強いツエルマットまで行く8人のグループ(Steveを除いた外国人の若いグループと日本人ではIさんとMさん)とSteveと日本人のUさん、Hさん、私の4人のグループに分けて行動することがガイドより指示された。8人の足の強いグループはフランクのガイドで予定通りツエルマットまで行き、足の弱い4人グループはここからアローラまでクリストフのガイドで降りることになった。自分としては予定通りツエルマットまでの行程を行きたかったが、彼ら8人とペースをあわせて行くのは無理なので仕方が無い。Steveの足ではツエルマットまで行くのは無理であろう。Uさん、Hさん、私の3人はペースをゆっくりにすればツエルマットまで何とか行けるであろうが、先行グループの足にはとてもついていけない。天候が悪くなるかもしれないし、風が強いので迅速に行動する必要があるとのことで、このグループ分けは妥当なところであろう。8人のグループはシールをつけて目の前の結構きつい斜面をあがって行った。一方こちらの4人は彼らにさよならを言ってアローラまでの長い距離を滑り降りていった。途中はやや重の新雪、パックされた新雪、ちょっとしたもなか雪、最後にざら目雪と高度が下がるにつれて雪質が変わってきたが快適な長い滑りであった。アローラには12時前に着いた。天気は快晴となり気温も高くなっていた。アローラのスキー場はまだ雪が十分あり滑れるのに閉鎖されていた。クリストフがタクシーを呼んだ後、タクシーが来るまでの間Steveのおごりでビールを飲んだ。一時過ぎにタクシーに乗り込み、2時半頃にツエルマットに到着した。ここで借りていたシャベルとプローブを返し、アローラ、ツエルマット間のタクシー代50ユーロを払った。Uさん、Hさんとさよならを言って別れた後、Steveとクリストフがスキーを持って駅前のツーリストインフォメーションまで見送ってくれた。
      駅前のツーリストインフォメーションで安価なホテルを尋ね、駅に比較的近いホテルアルファーに電話して一日75スイスフランで泊まることにした。迎えの車に来てもらいホテルに到着した。ホッとして部屋でくつろいだ後、明後日にシャモニに戻る列車の時刻を調べに駅に行った所、偶然Mさんがおられた。Mさんの話ではツエルマットまで行った8人のグループは登りも降りも早いペースで行き、着いていくのに苦労したとのことであった。途中で他のパーティーも追い越して行き、3時半ごろツエルマットに着いたが、大変だったと言っていた。他の人たちは迎えに来た2人を除いて、ガイドも含め10人がタクシーでシャモニに戻ったとのことであった。Mさんはこれから夜行列車でフィレンツエに行き美術館めぐりをされるとのことであった。列車21時半発でそれまでの間、一緒にビールを飲み話しながら夕食をともにした。

           
       Col Collarzで           アローラに下る氷河          ガイドとSteve          アローラ氷河から見る

4月19日
      
朝7時起床。朝は曇っていてどんよりしていた。朝食後山スキーの準備をして、バスに乗り、クライネマッターホルンに行くロープウェーの手前のバス停(1650m)で降りた。エレベータで上がりツエルマット地区のスキー場の一日券を75スイスフランで購入した。Trockener Steg(2939m)までロープウェー2本を乗り継いで上がったが、クライネマッターホルンまでのロープウェーはまだ動いていなかった。圧雪車の準備をしていた係員に聞くともうちょっとしたら動くといった。また、オフピステを滑りたいがどこが安全かを聞いたら、新雪でヒドンクレバスがあるし、クレバスにおちて死んだ人がいるので絶対にオフピステでは滑るなと注意された。その人はさらにヨーロッパアルプスで一日に一人がクレバスに落ちる死亡事故があると言っていた。その後、広くて長いゲレンデの圧雪車が圧雪を仕切れないゲレンデの端を選んでいろいろ滑り廻った。足首程度だが比較的軽い新雪の滑りが面白い。さすが標高は高いだけのことはあった。あまり急な斜面は無いようだが、長いコースが延々と続いていた。

   いくつかのコースを滑った後、12時少し前にクライネマッターホルンに行くロープウェーに乗った。12時15分に上に着いた。まず、地下道を通り展望台
(3883m)に行き辺りを見回した。マッターホルンは雲に隠れて横のほうが少し見えるだけであったが、天気は良く風も無い比較的暖かい絶好の日和であった。地下道を通ってスキー場に出た。12時半ごろからオフピステに出てブライトホルンに登るため、先行者のトレースに付いてゆるい下りを滑った後、平坦なところを進んだ。登りになったところでシールをつけて上がりだした。先行者10〜15名が上のほうに見えた。標高が高いせいか、それほど急斜面でもないのに息切れがした。雪はやや重の新雪であった。トレースがはっきり着いているのでそれにしたがって上がっていった。頂上直下の雪が硬くなったところでアイゼンに履き替えて最後の登りの後、2時ごろブライトホルン頂上(4164m)に達した。頂上は比較的広く、10名くらいの人がいたが、しばらくすると全員が降りてしまった。一人で頂上を独占し遅い昼食とした。頂上の反対側の斜面で風がさえぎられていたため寒くなかった。2時20分頃頂上を下り始めたが、反対側の斜面は風が強く寒い。スキーをデポした地点までもどり急いでアイゼンをはずし、スキーのシールをはずして滑り出した。最初は比較的硬い斜面であったが、しばらく行くと新雪でやや重いが滑りやすい。足首から膝下くらいの深さの雪で快適であった。滑り降りるのは早い。後は登りの時のトレースに従ってスキー場のピステに戻った。その後は、スキー場で出来るだけ新雪がある所を選んで滑り廻った。4時ごろになり上から滑り降りて、4時半に一番下まで下りて100メートルほどスキーを担いで歩きバス停に着き、バスでホテルまで戻った。今日はブライトホルンの他、ゲレンデスキーも十分に堪能したので、ツエルマットのスキーはこれで十分だと言う気がしてきた。

     
    ツエルマットのスキー場で     展望台から見たブライトホルン   展望台で              ブライトホルン頂上直下から見る

4月20日
      
朝、朝食後ホテルをチェックアウトし、車で駅まで送ってもらった。ツエルマットの駅でシャモニに行く切符を85スイスフランで買い、8時45分発の列車に乗った。途中、Visp, Martignyで乗り換えた。最期のシャモニ行きの列車は途中不通箇所があるとのことで、一駅間はバスに乗り換えアルジェンチールでまた列車に乗り換えてシャモニに12時半に着いた。予約してあった前に泊まったホテルに行った。明日は天気が崩れるとのことだが、今日はまだ天気は良い。そこで、急いでスキーの支度をしてエギュードミデェーに行くロープウェーの乗り場に行った。一時半になり天気は崩れる方向にあるがまだ大丈夫と見て券を買ってロープウェーに2時少し前に乗り込んだ。スキーを持っていたのは自分以外には4人だけであった。この4人の中の一人にバレブランシェのルートをいろいろ尋ねた。この4人はバレブランシェのルートについて詳しいようでいろいろ教えてくれた。彼らは上級ルートを滑る予定だと言った。この上級ルート以外に中級ルート、そして前に下りたことのある初級ルートがあると地図で指し示しながら教えてくれた。前に初級ルートを下りたがもう少し面白いルートを滑りたいと言うと、中級ルートを勧められた。そこで、中級ルートを滑ろうと決めた。ところが、ロープウェー2本乗り継いで上に着いたらガスがかなり出ていて視界が余りよくなかった。地下道を通り急な斜面を、アイゼンをつけて急いで降りたら、スキーを担いで先に下りていった先の4人のグループがこの視界では危険だから一緒に行こうと親切に誘ってくれた。視界が悪く良くわからないコースで本当に助かった。最終の登山電車の出発時間が4時半であり、そんなにのんびりしていられない。彼らはこのコースを良く知っており、重い雪で滑りにくかったにもかかわらず上級コースの結構急な斜面をどんどん滑り降りて行った。こちらは着いて行くのが精一杯であった。途中、ガスで視界がよくない所もクレバスのある所では止まってよく見ながらクレバスを避けて通っていった。この4人は男性2人、女性2人のグループでジュネーブから来たと言っていたが、週末には度々バレブランシェに滑りに来るとのことで親切な人々で同行してもらい本当に助かった。天候が良く視界が良くて時間があれば十分楽しめる所だが、今日のような視界が悪く時間も限られているときに来るのは無謀であった。下では晴れていて天気が良いように見えても上ではガスっているなんてことはよくあることだが、それを実感した。たとえ単独行でもクレバスに落ちたときの救助のためにハーネスを必ずつけて行かねばいけないと彼らに言われた。このことはガイドにも言われたことではあるが、ヨーロッパアルプスでは常識のようである。この時はハーネスを持っていなかったので代わりにカラビナを貸すので、いざとなったら引き上げられるようにザックに着けなさいと言われた。スキーのルートも彼らに指示してもらい無事に滑り降りてこられた。最後にスキーを担いで登山電車の出発駅まで苦労しながら上がっていった。今日はここのロープウェーが運休で30分近くスキーを担いで上がらざるを得なかった。それでも彼らのおかげと急いで行ったため、最終電車の一つ前の4時10分発の電車に乗れた。最後にシャモニの駅で彼らにお礼を言って別れた。その後、夕飯前にスネルスポーツに行き、TLT Comfortの軽いビンディングを購入した。フランスの付加価値税の19.6%が申請すれば後に戻ってくるとのことでその申請の仕方を日本人店員の神田さんに伺い手続き書類を書いてもらった。

4月21日
      
今日は朝から冷たい雨が降っていた。10時半がチェックアウト時間である。ジュネーブに行くバスは昨日でスキー運行バスが大幅に減少したため、朝7時と夕方4時半だけになっていた。10時半までホテルにいて荷物を整理してチェックアウトした。その後、冷たい雨の中、傘をさしてそれほど広くないシャモニの街中を歩き回ったが、4時半までの時間をつぶすのに苦労した。午後に本日のジュネーブのホテルの予約を確認したらなんと今日では無く昨日分を予約していた。あわててこのホテルに電話したがどうしようもない。仕方が無いので新たに本日の分を予約することにしたが、料金はもちろん別に払わねばならない。昨日の分は全く無駄な出費となってしまった。3月に急いでホテルの予約をしたときに良く確認しなったのが原因であった。ようやく4時半のバスに乗りジュネーブ空港まで行き、空港からホテルのシャトルバスでホテルに向いチェックインした。その後、駅まで行き駅構内のレストランで夕食を食べた後、ホテルに戻り入浴後、眠りに着いた。

4月22日
     
 朝食後、小雨の降っている中をレマン湖の近くを散歩した。9時過ぎホテルに戻りチェックアウト後、シャトルバスで空港に行った。スネルスポーツの神田さんに言われたようにして空港のフランス側で付加価値税のrefundの手続きをしてから飛行機のチェックインを済ませた。KLMジュネーブ発アムステルダム行きは12時出発予定だが、遅れて12時45分発となった。アムステルダム発成田行きの便にどうにか間に合い搭乗した。成田には23日の朝到着し帰宅した。アムステルダムでの乗り換え時にスキーの積み込みが出来なくなったため、翌日到着で明後日配達してくれるとのことで、重いスキーを自宅に持ち帰ることなく代えって助かった。

日談:オートルート行で疲れたせいか、シャモニ、ジュネーブで冷たい雨の中を歩いたせいか、帰国後すぐに大風邪を引いてしまい直るまで10日間くらいかかってしまった。


今回のオートルート行で感じたこと

公募のガイドツアーについて
      
今回、シャモニのガイド組合がインターネットで募集していたオートルートツアーに応募して行ったが、同行者は全部で12名であった。いろいろの国のいろいろの職業でいろいろの年齢層の方と6日間同行して、さまざまな話が出来て非常に面白かったし良い経験であった。予め心配していたのは参加者の体力、スキー技術があまりに異なって行動を共にすることが難しいという点、及び言葉の問題でコミュニケーションがうまくいかないという点であった。言葉の問題は日常の英会話が流暢ではないがそれなりに出来るので問題は無かったように思う。それ以上に問題なのはやはり体力、技術の差が大きな場合であろう。募集に当たって体力、スキー技術は必要と言ってはいるが試験をする訳では無い。申し込みに際してこれまでの経験を自己申告するだけである。今回のツアーは12名の参加者がいたが、オートルートツアーを行うだけの力を全員が持っていたが、体力(登りの速さ)はかなり異なっていた。Steve以外の外国人は20代後半から30代後半までで皆足が強かった。女性のAraelleも登りのキックターンでは苦労していたが、非常に体力があり足が強かった。彼らは終始速いペースでガイドに続いて並んで登って行った。その後を日本人グループがそれぞれのペースで間隔をおいて付いて行った。最後にSteveがガイドとともに進んで行った。ガイドは基本的には6人に対して一人であった。ツアー参加者の足の強弱が余りにある場合、ガイドとしても大変であることを感じた。
      ガイドツアーで体力、技術に差のある場合大変であるのは日本国内のツアーでも同じであろう。

ヨーロッパアルプスでのスキー、
山スキーについて:

      さすがにヨーロッパアルプスでは山スキーが盛んのようであった。驚異的な山岳スキーレースが行われていた。また、ロープウェーに乗り合わせた人の用具を見ると兼用靴と軽い山スキー板に山スキー用ビンディングを付けているのが多いのが目に付いた。また、ビンディングもディアミールと並んで軽いTLT Comfortを付けているのが多かった。レンタルショップでも山スキー用の板と兼用靴を置いてあり日本と違うなと感じた。

ハーネスについて:
      日本では山スキーでハーネスを着けるという話は聞かないが、アルプスではクレバスに落下した時の救助のため、あるいは落下しそうな時のため必需品のようである。ガイドからも、バレブランシェで同行してくれたジュネーブから来た4人パーティーの人からもハーネスをつけるように言われた。

ツエルマットのスキー場:
       ツエルマットのスキー場は広くて標高差があり、コースが非常に沢山あった。日本と比べてスノーボードが少なかった。また、年配のスキー客が多いように感じた。ロープウェーでかっこよいヘルメットを被った女性がすぐ横にいたので、振り返って見てみたら顔中しわだらけのおばあちゃんがスキーを持っていた。

フランス、スイスでの高物価、高ガソリン価額について
     
今回訪れたのはシャモニ(フランス)、ジュネーブ、ツエルマット(スイス)であった。1ユーロが160円くらい、1スイスフランが105円くらいであったが、これらの場所が観光地であるからかもしれないが物価が非常に高かった。フランスではVAT(付加価値税、消費税)が19%台であり、スイスでは7%台と言うことであった。高負担、高福祉の政策を取っているようで、給与、物価、税金いずれもが高いようであった。また、外国人観光客にも高い消費税を負担してもらっているように思えた。日本は物価が高い国と思われてきたがそんなことは無いと感じた。ツエルマットのスキー場のリフトで隣り合わせに座ったスウェーデンの電気技術者で、仕事でイタリアに行く途中、スキーをやりに寄ったと言っていた人がスイスは最もお金がかかる国だと話していたが、それでも次回は家族と来たいと言っていた。

投資コンサルタントをやっているSteveとも話したのだが、ガソリンの価額は大雑把に言って、アメリカ1、日本2、ヨーロッパ3の割合であった。 元の原油の価額はそれほど違わないはずで、各国のガソリンの価額の差はガソリンにかかる税金と交換レートの差によるものと言える。また、ガソリンよりディーゼル油の方が高価額であるのも興味あることだった。これも税金の差によるものだろうが、ヨーロッパではディーゼル車が多いことと関係するのであろうか。(これは2008年4月段階での話である。その後、世界の経済情勢が大きく変化し円高に振れているので、この議論は今は成立しない。)

      今回のオートルート行を無事故で楽しく行けたことが出来たのは同行した方々ならびににガイドのお陰であり、同行者のうち四人の日本人グループのリーダー格であったUさんには特に感謝したい。悪天候などのため、行けなかったコースも今後行って見たいが、体力と経済面でどうなるだろうか?