エジプト旅行

最近の新聞広告には旅行社の海外ツアーの広告が良く目に付く。どのツアーもどうしてこんな安い価格で行けるのかと思うほど安い。

  トルコかエジプトに行こうかと思い立ってインターネットで調べて、一ヶ月前にHISが行っている古代エジプト歴遊紀行8日間なるツアーを申し込んだ。他に用が無い時期で、年末から正月にかけてのツアーに比べて割安でしかも一人追加料金が半額になっている。あなた任せのツアーで事前の調査や現地での色々の手配などをしなくて良い代わりに物足りない点もある。今回、短期間で多くの所を廻る少しハードなスケジュールだったが、大いに楽しめたのは添乗員さん、現地のガイドさんや同行された皆さんのお陰である。感謝する。

  今回のツアー参加者は全部で16名で、女性が11名、男性が5名であった。女性は60代のおばさんパワーを発揮された4名、新婚のカップルが一組、大学4年生や会社勤めの若い女性が6名。男性で定年退職したのは自分一人で、会社の休暇で来られたり,転職された合間を利用して来られた現役の方ばかりで少しびっくりした。参加者が比較的少なく老若男女いろいろの人がおり、一人で参加された方が多かったのでお互いの会話も弾み、和気藹々の雰囲気で行けたのは何よりであった。

  エジプトは古代文明の発祥の地で5千年以上の文明の歴史がある。ピラミッド、スフィンクス、王家の谷、ツタンカーメンの墓と黄金製のマスク、アブシンベル神殿、などの古代エジプトの遺跡があること、ヒエログリフとそれを解読したシャンポリオンと言う名前など高校の世界史で学んだ程度の知識しか持っていなかった。そういう遺跡を現地で実際に見るのは楽しみである。また、ナイル川とアスワンハイダムや現代のエジプトがどうなっているのかも興味がある。

  古代エジプトの遺跡や文明について現地のガイドの説明があったが、それほど詳しくは無いし理解出来なかった点も多かった。帰国してから、色々調べて見ると結構面白い。行く前に事前勉強をもっとしておくべきだった。、


1月13日() 晴れ
    朝自宅を出て11時45分に成田空港のツアー集合場所に到着。ツアーの説明を受けた後、E−チケットを貰い、エジプト航空のカイロ行きにチェックイン。
    同じエジプト航空で行く他のいくつかのツアーの団体客も大勢いた。ツアーの参加者も我々のツアーより多いようであり、退職された年配の夫婦の参加者が多いのが目に付いた。14時45分発。エジプト航空ではビールなどアルコール類が出ないので少し物足りない。

    飛行機は14時間かかって、カイロ空港に夜中の10時40分に到着(日本との時差は7時間)。入国手続き、エジプト通貨のエジプトポンドへの両替などをやって空港を出たのは11時半近くになっていた。ここでバスに乗り本日の宿泊のホテルに向った。約40分でホテル(AMARANDE PYRAMID)に到着。ホテルにチェックイン後、シャワーを浴びてベッドに入ったのは1時過ぎになっていた。良く眠れないので入眠剤を飲んで寝た。

1月14日() 晴れ (アレキサンドリア)
    朝の4時半にモーニングコールで起床。5時過ぎから朝食。6時にホテルを出てバスでアレキサンドリアに向った。約3時間でアレキサンドリアに到着。途中は地中海が見える所もあったが、道路の両側は灌漑されて畑となっている所は果樹、野菜、ナツメヤシが植えられていたが、灌漑されたいない所は殆ど草木が生えていない砂漠となっていた。この辺は一年中雨が少ないと言う。農業をする上で水がいかに重要であるかを示していた。

  アレキサンドリアはアレキサンダー大王によって作られた町で、クレオパトラも住んでいた町で、ギリシャ、ローマ時代の遺跡がある。
アレキサンドリア国立博物館で2000年前のギリシャ、ローマ時代の遺品を見学した後、当時の地下の墓場であるカタコンベ、ポンペイの柱を見学したが、初日で寝不足もあり興味が湧かず、通り過ぎて見ただけであった。昼食後,海岸沿いに突き出ているカイトベイ要塞を見学。ここには古代世界の7不思議と言われた高い灯台が建っていたとのこと。子供の時、本で世界7不思議の絵(予想図)を見たことを思い出した。対岸にアレキサンドリアの町並みが遠望された。

         カイトベイの要塞                       要塞から見たアレキサンドリアの街並
                   


   その後バスで3時間かけてカイロまで戻った後、夕食(エジプト料理だろうが、外国人向けに変えているかも知れない)。味に慣れていないのでさほどおいしく感じられない。夕食後、バスで空港に向かい、22時20分発のルクソール行きの飛行機に乗った。出発が少し遅れたので、ルクソールの空港に着いたのは23時40分。バスでホテル(SOFFITE KARNAK)に着いたのは24時20分。ホテルは庭が広く高級リゾートホテルの趣であった。この日も風呂に入りシャワーを浴びて寝たのは一時過ぎ。今日も入眠剤のお世話になった。

   

1月15日() 晴 (王家の谷、ルクソール周辺のエジプト新王国時代(3600〜3000年前)の巨大な建造物、石像の遺跡
    朝5時30分にモーニングコールで起床。6時からビュッフェ形式で朝食。朝食の方はパン、サラダ、ハム、ジュース、コーヒーで慣れているものが多いのでホッとする。今日は連泊なので荷物は置いて、7時にバスで出発。まず、ルクソール西岸の王家の谷に向かった。ナイル川沿いは緑があるが、少し離れると全く草木が見られなくなリ茶色の砂と岩だけである。

  約一時間半かかって王家の谷の入り口に着いた。入り口は大勢の観光客で混雑していた。カメラの持ち込みは一切禁止で、入り口で厳重にチェックしていた。この草木も生えていない山の谷沿いに岩穴を掘って作られたエジプト新王国時代(紀元前1600前〜紀元前1000年)の王の墓が62基点在していると言う。ほとんどが盗掘に遭い、20世紀になってから、カーターにより完全な形で発掘されたのが有名なツタンカーメン王の墓である。始めにこのツタンカーメンの墓への階段を下って前室から玄室に入りツタンカーメンのミーラを見た。部屋あるいは廊下の壁に描かれた壁画がきれいでとても3500年前のものとは思われない。黄金のマスクなど主な副葬品はカイロにあるエジプト考古学博物館にあるとのこと。その後、約一時間の自由時間の間にラムセス一世とラムセス9世の墓を見学した。大勢の観光客で、見ている時間より順番待ちの時間の方が長かった。中に入ると廊下と部屋の中の壁や天井の壁画は壮大で美しい。この時代の王様の権力が絶大であったことが解る。もっとのんびりと他の墓も見ていたいところだが時間切れでバスに戻った。

              王家の谷の入り口で
               


  その後、ハトシェプスト女王葬祭殿、ラムセス3世葬祭殿を見学した。いずれも壮大な建造物で壁には美しいレリーフが描かれている。3500年前に良くこんなものを作ったものだと感心した。

ハトシェプスト女王葬祭殿           壁のレリーフ              葬祭殿の前に立つ像
  


  
ラムセス3世葬祭殿            列柱室                 壁のレリーフ
  


  次いで、もとはアメンホテップ3世だと言うメムノンの巨像を見学した。巨像の後ろには瓦礫が残っていたが、ここには葬祭殿があったとのことであった。
                    メムノンの巨像
                            



  この後、ルクソール東岸に戻って昼食。午後はカルナック神殿とルクソール神殿に訪れた。これらは3000年以上前に作られた壮大な建造物であるがスフィンクスが並んだ参道で両神殿を結んでいたとのこと。その大きさに圧倒される。この時代の王様はよくもこんな巨大な建造物や石像を作ったものだとあきれてしまうばかりである。絶大な権力の誇示と神への強い信仰の表れか。これらの遺跡が現在まで良く保存されて来たと感心した。ルクソール神殿には25m以上ある背の高いオベリスクが立っていたが、これと対になるもう一本はパリのコンコルド広場に立っているとか。


ルクソール神殿のラムセス2世像       ルクソール神殿の列柱      参道のスフィンクス
   



カルナック神殿を参道から入る         オベリスク            広いカルナック神殿を歩く
  


   この日の夕方はオプショナルツアーのルクソール博物館の見学とスーク(みやげ物市場)の散策をしてエジプト料理の夕食。
ルクソール博物館は展示数はそれほど多くないものの、周辺の墓や遺跡で発掘されたよく保存された優れた品々が展示されていた。また、状態の良いミーラの展示があったが、これは国外持ち出しされたものを購入したアメリカの博物館の好意で返還されたとの掲示があった。19世紀には文化財の国外への持ち出しは自由に行われたようだが、このように返還されるのは良いことだと思った。

   博物館の後はスークでの散策を兼ねた買い物。随分前に行ったメキシコのみやげ物屋の通りと雰囲気がそっくり。ここで、同行された60代のおばさん達の買い物に対するパワーを見せ付けられた。自分は安かったのでいくつかのスパイスを買った。その後のレストランでのエジプト料理は外国人向けなのかあるいは、オプションの別料金であったせいか非常においしかった。

     8時半にはにはホテルに戻り、今回初めてゆっくりと休むことが出来た。


1月16日() 晴 (ホルス神殿、コム、オンボ神殿、イシス神殿
    朝5時半にモーニングコールで起床。朝食を食べて7時にバスに乗り出発。9時ごろエドフに到着し、ホルス神殿を見学。この神殿も広くて巨大で、良く保存されていて素晴らしい。古いものから、ギリシャ、ローマ時代のものまで、多くのレリーフ、石像が見られた。3500年前のものそれから1000年以上経たものも大して変わらない印象を受けた。神殿の正面にある一対のホルス神像(隼の形をしている)がユーモラスな表情をしているのが印象に残った。

ホルス神殿の正面                          ホルスの神像              柱と天井に書かれたレリーフ
    

 
   次いで、バスで一時間半かかったコム、オンボ神殿を見学。ナイル川沿いの景色の良い高台に立っている。こちらも巨大な建造物だが、今までのものとは異なっていて、ギリシャ、ローマ様式の雰囲気がある。建造されたものも2500〜2000年くらい前で新しいとのこと。クレオパトラの像などもあった。また、当時の医療器具を描いたレリーフがあり面白い。ナイル川の水位を測ったと言う井戸のような形をしているナイロメーターがあったが、底を見ても水が見えない。現在のナイル川の水位が低いのか、それとも川の流れが変わったのか。


コム、オンボ神殿                    コム、オンボ神殿の正面                天井のレリーフ
   


  昼食後、当時花崗岩の石材を切り出した石切り場を見学。ここには切りかけのオベリスクがあったが、良くこんな大きな石を切り出して運んで行ったのか不思議な気がする。
                                 石切り場
                             


   さらに、バスで10分くらいの所にある船着場に到着。ここはアスワンダム(旧)により出来た人造湖で、船に乗り近くの島に渡る。途中でダムの堰堤が見えた。島にあがり、イシス神殿を見た。この神殿はもともとはイシス島にあったが、アスワンハイダムの建設によって出来たダム湖で水没するのでここに移設したとのことであった。古代エジプト時代から、ギリシャ、ローマ時代に建てられたとのことで、今まで見てきた神殿と同じく壮大で、壁のレリーフが見事である。後にキリスト教(コプト教)の祭壇として使われた所もあり十字が残っていた。壁を良く見ると、一定の大きさのブロックが繋ぎ合わされておりこれらの建造物が移築されたことがわかる。

           船から見るイシス神殿                      神殿の正面の壁                   
            


  イシス神殿から船で戻った後、バスで次の船着場に行き船でホテル(ISIS ISLAND)に向かった。このホテルは高級リゾートホテルで、部屋のベランダからの見晴らしが良い。しばらく休憩後、船でレストランに向かい夕食。夕食は魚料理とピラフで比較的おいしかった。特に、イチゴ、マンゴ、ギャバのミックスジュースがおいしかった。夕食後、ホテルに戻りシャワーを浴びて8時前には入眠剤を飲んで就寝し、翌日の早い出発に備えた。

1月17日() 晴 (アブ シンベル神殿、アスワンハイダム)
    本日はアブ、シンベル神殿に行く。このため、2時モーニングコールで起床。用意して3時にバスでホテルを出発し、先ず、警察署に向かった。外国人観光客に対するテロを防ぐため、警察の警備車の先導で車を連ねてアブ、シンベル神殿に向かうとのことであった。3時半に着いたが、一時間以上待って4時40分に出発。かなり早く着いたのに出るのは一番最後になった。我々の乗ったバスは大型であるが乗客が少ない。また比較的新しく故障が無さそうなので、途中で事故車が出た場合その乗客を乗せるため最後に走るとのこと。次々に出発していく大型バス、マイクロバス、乗用車を数えたら20台以上あった。一日に2回このような観光客を乗せたバスなどのコンヴォイがあると言う。
    バスの中で用意されたサンドイッチなどの朝食を食べた。6時半ごろ日の出となり砂漠の中の朝焼けが見えた。あたりは一木一草も無い砂漠が延々と続いていた。
                          砂漠の中の日の出
                      

    7時半ごろ、今回の旅行のハイライトの一つであるアブ、シンベル神殿に到着。アスワンハイダムの建造で出来たナセル湖の前に立っている。もとはもっと下方の谷沿いにあったが、ダム建設により水没するため移設したものである。非常にうまく移設されているため違和感が全く無い。大神殿の正面に立つ4体のラムセス2世の石像が巨大で見事で、3300年前に作られたものとはとても思えない。正面入り口から神殿内部に入ると、壁や天井には至るところに見事なレリーフが並んでいた。ラムセス2世は長生きしたが、多くの戦いで勝ち戦を収めた王様で、絶大な権力を誇ったようである。戦車に乗ったラムゼス2世の雄姿のレリーフは躍動的で、現在の漫画に書かれた動きの表現とも相通ずるのが面白い。


          アブ、シンベル神殿                       ラムセス2世の石像
            


    次いで、大神殿のとなりに立つ小神殿を見た。こちらはラムセス2世の王妃のネフェルトアリのために建てられたものであるという。正面に6体の石像が立っていたが、4体はラムセス2世、2体がネフェルトアリで、足元の小さな像が彼らの子供の像である。こちらは、大神殿と比べて少し小ぶりだが見事で、正面から入る神殿内部のレリーフも素晴らしい。

        アブ、シンベル小神殿                     大神殿と小神殿
             


   アブシンベル神殿を1周して戻り、ビジターセンターにある神殿移築の過程の写真と説明を見た。なんと、鉄骨とコンクリートでまずドームを作り、そこに石像や神殿内部の壁、柱、天井を出来るだけ大きなパーツに切り分け、大型クレーンで持ち上げて移設したとのことであった。切り口もずれが生じないように精密にやったとの説明があった。一見小高い丘に立てられたように見えるが中は中空であり、遺跡周辺の表面はコンクリートや砂、石で覆われているが自然な感じである。古代建築技術と現代の建築技術の融合の結果このような遺跡の保存が出来たことがわかる。

   1月にもかかわらず陽射しは強くなり暑くなった。2時間ちょっとのアブ、シンベル神殿見学の後、バスでアスワンに戻りアスワンハイダムを見学。大きなロックフィルダムで、堰堤に作られた道路の途中まで行った。ダム建設で出来た人造湖(ナセル湖)が非常に広くて上流側は水平線が見えるのみであった。一方、下流側はこれが大河ナイル川と思うくらい水の流れがが少ない。発電と灌漑のためのダムだが、最大発電量は17.5万kWhx12の210万kWhとのことであった。大きなダムなのでもっと発電量が多いと思っていたので少し意外であった。

                         アスワンハイダム
                         


   その後、バスでアスワンにあるレストランで昼食を取り、アスワン駅に向かった。ここで荷物をまとめて置き、添乗員さんが見張りをしてくれるので、我々はアスワンのスーク(市場)で一時間ほど見学と買い物。ここでは色々のスパイスを売っている店が目に付いた。果物や野菜を売っている店で、トマト、りんご、オレンジを一個ずつ、値段と味を知るために買った。会わせて1ドルで、日本の感覚だと非常に安いが、こちらの基準だと高すぎるのかもしれない。この外、缶ビールを買って列車の中で飲んだ。

   3時半に駅に戻り、夜行寝台特急列車ナイルエクスプレスの一等寝台車に乗った。一人で参加したので2人用のコンパートメントに一人で使うことが出来てゆったり出来た。昔の日本の夜行寝台車の雰囲気である。コンパートメントには小さいながらも水道と洗面台が付いていた。ここに備え付けの水道で先ほど買ったりんごとトマトを洗い食べた。見かけは日本のものと大差は無いが味は日本の物の方がずっと良い。トマトは生食用よりは調理用に向いている、また、オレンジは当然のことながら日本で買うもの(輸入品)と味は同じであった

   5時半に夕食のサービスがあり、その後ベッドメーキングをしてくれた。その後は外の景色をぼんやり見ながらしていたが、眠りに付いた。列車の動く音が少しうるさいが、ゆったりとしていて良く眠れた。

1月18日(月)  時々曇り (ギザ、ダハシュール、サッカラ、メンフィスのピラミッドと遺跡)
    朝4時にモーニングコールのノック。4時20分に朝食のサービス。5時ちょうどにギザの駅に着き下車してバスで初日と同じホテルに向かった。これまでの南エジプトと違い少し寒く風が冷たい。5時半にホテルに到着。荷物を預け少し休憩した後、バスは出発し、7時過ぎにギザのクフ王のピラミッド(第一ピラミッド)の前に着いた。反対側から見たときは高層のアパートが見える街の中に立っているように見えたが、こちら側からはさすがに砂漠の中に立っているように見える。

   開場まで待って8時に入場。高さは140m以上で、近くで見るとやはり大きい。ギザのピラミッドは約4500年前のエジプト古王国に建てられたと言うが、よくもそんな昔にこんな大きな石を積み上げてピラミッドを作ったものだと思う。まず始めにピラミッドの下を少し登り岩穴の中に入って行った。狭くて急な階段を上り下りして大きな石棺らしきものがある玄室に達した。

第一(クフ王)のピラミッド               第一ピラミッド玄室への入り口               第2ピラミッド
   


   戻ってから、3つのピラミッドが見渡せる展望サイトにバスで移動。第1,第2(カフラ王のピラミッド)、第3(メンカウラー王のピラミッド)が目の前に見える。皆でわいわいがやがや言いながらここからのピラミッドの展望を楽しんだ。次いで、ピラミッドをバックにして立っているスフィンクスが見える場所に移動して、写真で良く見るスフィンクスの実物をじっくり見学。やはり大きい。

        3つのピラミッドを遠望                       スフィンクス
           
 

   その後、パピルスを作っているみやげ物屋に行き、パピルスの作り方の説明を聞いた。比較的簡単な作り方であるにもかかわらず、強い紙ができる。はナイル川沿いに生えているパピルスが良い原料であり、古代エジプト文明を担っていたものだと感じた。ここで、ツアー客全員に絵入りのパピルスが配布された。

   この後、レストランで昼食。珍しく少し雨が降ってきた。

   昼食後、バスに乗りダハシュールの赤のピラミッド(少し赤色がかっている)の手前まで行き見学。遠くには途中の勾配が屈折している屈折ピラミッドが見えた。いずれも砂漠の中にポツンと立っているが、高さは100mを越えており、ギザのピラミッドよりさらに古いものだ。

  バスは次いでメンフィスに行き、巨大なラムセス2世の石像が横倒しになって展示されているメンフィス遺跡を見学。関連した遺跡が展示されていた。アブ シンベルの巨大な石像もラムセス2世の像であった。

  次いで、サッカラで階段状のピラミッドを見た。これは巨大ピラミッドとしてはさらに時代を遡る最古のものだそうで、修復工事がされていた。高台から見ると色々のピラミッドが砂漠の中に遠望された。

 赤のピラミッド                        屈折ピラミッド                  階段ピラミッド
   


   このあたりはナツメヤシの林が多いが灌漑されているようで、それ以外は緑が全く見られない茶色の砂漠となっていた。
   ピラミッドの後は絨毯工場をを見学して3時半にホテルに戻った。後は夕食も含め、自由行動。風邪を引いてしまったのでホテルの一室で休養。

   どのようなものがどれくらいの値段で売られているのか興味があったので近くのスーパーマーケットに行って見た。種々の日用雑貨類のほか食料品が売られている。国産の食料品はかなり安いが、輸入品は逆に高い印象を受けた。魚もほぼエジプト産のように見えた。野菜、果物類はスーパーでなく街中の八百屋、屋台で売られていた。スーパーで水とナツメヤシを買ったが安かった。ペットボトル入りの水も国産だと安いが、輸入品だと結構高い。通りで、果物を売っていた屋台でイチゴを買った。大きくて真っ赤なおいしそうなイチゴが1kgで2ポンド(日本円にすると40円以下)だと言う。とても1kgなんか食べられないので1ポンドを払って渡された袋に適当にイチゴを入れたらさらに2,3粒入れてくれた。

   このイチゴを水道で洗って、夕食前と夕食後に分けて食べた。味は悪くは無いが、日本のイチゴの方が味が良いしうまい。ただし、日本のイチゴは高価である。なお、生のイチゴを水道水で洗って10個以上食べたためか、帰国後少し下痢症状になってしまった。

   明日も早いので10時に就寝。

1月19(火)〜20日(水)晴れ (モハメド アリ モスク、エジプト考古学博物館)
    
本日が実質的には最終日。5時45分にモーニングコール。朝食を食べ、7時20分に出発。まず、モハメド、アリ、モスク(礼拝堂)に行った。このモスクは19世紀半ばにトルコ系の国王モハメド、アリが建造したモスクだそうである。巨大なドームと内部のシャンデリアはきれいだが、これがエジプトの文化を表すものだろうかと思ってしまった。

                     

   最後に、今回のツアーの最後のハイライトのエジプト考古学博物館での見学。入り口から大勢の観光客で一杯である。その中を現地のガイドの説明を聞きながら、一階にある古代エジプトの種々の王、神官、書記、村長などの像、遺跡から出た遺品、壁のレリーフを見ながら進んだ。いずれも素晴らしいものだが、あまりに沢山あるのと短い時間で次から次へと見るのでそれぞれの印象が薄れてしまう。次いで2階に上がりツタンカーメンの墓からの出土品を見る。黄金に覆われた調度品、宝飾品、棺の数々、今でも使えそうな家具などすべてが豪華で美しい。最後に非常に混んでいた中央の展示室に入り、有名なツタンカーメンの黄金のマスクを見た。精巧な作りで黄金が輝いていた。

  その後、100ポンドを払って、古代エジプトの王様のミーラが多数展示されている部屋に入りミーラを見学した。こちらは人が少なくゆっくり見ることが出来る。いずれも保存状態は良い。ラムセス2世のミーラもあったが、こんな形で大勢の人に展示されているなんて思いもよらなかったであろう。 後は時間の許す限り、展示品を駆け足で見て回ったが印象が薄い。

  約2時間の博物館見学を終えて、ナイル川沿いの中華料理店で昼食。味が慣れているせいかおいしく感じる。
  昼食後,土産物屋が並ぶハンフリーバザールに行きガイドの説明を聞きながら見学。後は自由に散策。

  13時半に集合して、バスに乗りカイロ空港に向かい14時に空港着。ここで、エジプトでのツアーをともにしてこれからフランスに向かうYさん、現地ガイドのアビールさんと別れ、帰りの飛行機にチェックインして17時発の成田行きで帰路に着いた。 同行された皆さん楽しかったですね。添乗員の藤木さん、有難うございました。

  
                                  カイロ空港で
                                
          

今回のエジプト旅行で感じたこと

1.死者の書、最後の審判、地獄絵図
    多分考古学博物館だったかと思うが、大きな天秤が書かれてあった死者の書のレリーフを見てその説明を聞いた時、以前見たバチカンのシスティナ礼拝堂にあったミケランジェロ作の最後の審判の壁画、また、奈良のお寺(どこだったか忘れた)にあった古い地獄絵図を思い出した。
    死者の書によると人は死後、冥界の神であるオシリス
の神の前で最後の審判を受けると言うのが古代エジプトの考えであった。審判は死者の心臓(魂)と真理の神の羽とを天秤にかけ、両者が釣り合いが取れれば復活再生して生き続けるが、心臓(魂)の方が重ければ罪深い物として怪物に食われてしまう。
      このような最後の審判、死後の裁きと言う考えは古今東西、人間の共通の考えであったようである。ミケランジェロの最後の審判の大きな壁画では死者を裁く神がいて天国に行けるか、地獄に行くかを審判する。地獄に落ちたものが受ける責め苦の図は迫力がある。また、奈良のお寺で見た地獄絵図では閻魔さんが死者を裁き地獄に落ちた亡者の絵が生々しく書かれていた。
    このような死後の裁きと言う人間の考えの起源はエジプトから来ているのだろうか?地球上の人類はすべてアフリカを起源としている。初期の人類も死後について類似した考えを持っていて、アフリカを旅立って世界中に散らばって行った時、死後の考えも伝播して言ったのだろうか?死者のレリーフを見て考えてしまった。
     最後の審判で、この世で悪いことをしてならないなど勧善懲悪の思想(モーゼの十戒もそうだが)は人類共通のようだ。その勧善懲悪の思想の前提として人間を越えた絶対的な存在(例えば神)があったのだが、現在は”神が死んだ”時代である。神に代わって何があるのであろうか?

2.ナイル川とアスワンハイダム
    エジプトについて始めてナイル川を見たとき大河ナイル川にしては川幅が狭くびっくりした。その大きな理由がアスワンハイダムと灌漑用に使っているためだと判った。ナイル川周辺だけは緑に覆われていたが、少し離れると一木一草も生えていない砂漠がほとんどであった。聞いて見るとこの地方は一年中降水量が少ないとのことであった。ナイル川の水を灌漑に利用して畑や緑が保たれているのが良く解った。また、ちょっと離れた所に運河の水が流れていてその周辺もナツメヤシなどの緑があった。やはりエジプトはナイル川で持っているのだと感じた。

  一年のある季節にナイル川が増水して洪水が起こり上流から肥沃な土砂を運び込むことで農業が成り立ち古代エジプトの繁栄と文明がもたらされたと世界史で習ったような気がする。アスワンハイダムでナイル川を堰き止め、ナセル湖という大きな湖を作って灌漑や発電に使うのは現代のエジプトとして当然のことだが、大量の土砂はダムで堰き止められてしまう。洪水を起こすことが無くなる代わりに、肥沃な土砂を下流の農業地帯にもたらすことも無くなる。塩分も洪水に伴って流されること無く蓄積するのではと言う気がする。また、ナイル川最下流のデルタ地帯の海岸沿いは土砂の流入が無くなるので侵食されているのでは無かろうかなどと思ってしまったが、実際はどうなんだろうか?
  最近、日本で脱ダムなどの議論があるが、ダムの功罪をこの巨大ダムでもつい考えてしまった。

3. エジプト文明
   3500年以上前の新王国時代のエジプトの遺跡、遺品を見ると良くこんな素晴らしいものを作ったと感心してしまう。ところが、それから1000年以上経た遺跡、遺品がお粗末であったりする。使っている文字(ヒエログリフ)も1500年以上の間あまり変化していないように見える。壁画の絵のモチーフ、デザインもほとんど変わっていないように見える。一度起こった素晴らしい文明が1000年以上の間とどまっているだけか、退歩している様に見えるのはどういうことだろうか?

   もっとも、日本の江戸時代だって長い間とどまっている状態だったし、ヨーロッパ中世の長い間は暗黒の時代と言われている。

   文明の進歩などと言うのは最近のことらしい。20世紀から21世紀までの極く短期間に文明は非常に進歩した。今後、文明の進歩はさらに加速するのだろうかそれとも減速あるいは退歩するのだろうか?現代の文明が100年後にはどうなっているか予想すら出来ない。まして1000年後は。
   2000年以上の長い時代にまたがるエジプト文明の遺跡を見て考えてしまった。

4.プラスチックゴミ
   カイロ市内ではあまり目に付かなかったが、観光地に行く途中の町の道路沿いあるいは遺跡の周辺にはプラスチック製の袋、ビン、容器の破片のゴミが捨てられ放置されているのが目に付いた。風が強いとき捨てられたポリ袋が遺跡の入り口周辺で風に舞っていた。どうやら、大都市の街中はごみ収集をやるがそれ以外はやられていないようである。紙や木で出来たものあるいは残飯類ならゴミとしてその辺に捨てても1年から10年くらい経てば分解して自然に戻ってくれる。金属製の空き缶でも数10年もすればさびて壊れて土に返っていく。ところが、普通使われているプラスチックは(生分解性や光分解性のものは別だが)分解しない。せいぜい破れて、壊れて小さくなっていくだけである。回収して再利用するか燃やすかしないかぎり、半永久的に残って行く。
   プラスチックゴミは現代文明の遺品の一つとして地球上に残って行くのだろうか?
    

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