マチピチュ(ペルー)行

定年退職後、行きたかったところのひとつがマチピチュ(インカ)。今回、マチピチュに出かけることにした。この時期、山スキーもやりたいし、春、夏野菜のために畑仕事も忙しい。連休明けからは放送大学にも行く予定がある。そこで、行ける期間はせいぜい一週間ちょっとである。

自分の旅行のやり方として3通りが考えられる。
  1つは往復の安い航空券を購入し主なホテルだけを予約して、後はその場に応じて気のむくままに旅行するやり方。
   2つ目は往復の安い航空券を購入して現地に行き、後は現地のツアー会社に自分の好きなツアーを予約して行くやり方である。最近はインターネットで日本から申し込むのも楽になった。この方法だと多くの場合、少人数であるが国際的な混成グループでツアーが組まれて、必要な時には英語のガイドが付く。ホテル、トランスポーテーションはすべて含まれるが、夕食や昼食は含まれていないことが多い。
   3番目は日本の旅行社の団体ツアーに参加して行くやり方である。最近、新聞広告には主要な旅行社の海外、国内ツアーの広告が良く目に付く。どのツアーもどうしてこんな安い価格で行けるのと思うほど驚くほど安い。

   これまでの海外旅行はすべて1番目か2番目のやり方で行っている。団体ツアーだとスケジュールに縛られるし気の向くままに自由に行動出来ない。ここでもう少しゆっくりしたいと思っても無理である。しかし、ペルーの治安や交通事情が不案内であり、日数が限られている。安全に安く行けるならそれに越したことは無い。2月頃の新聞でマチピチュを含むペルーへのツアーの広告を見た。3月に入り、インターネットでマチピチュに行けるツアーを改めて調べた。そこで、阪急交通社のびっくりペルー8日間なるツアーを見つけて4月18日から25日のツアーを申し込んだ。往復の飛行機が長いので、実際にペルーで旅行するのは5日間でマチピチュを含めて主要な観光地を4箇所回る。ゆっくり、のんびりという訳には行かないが、安いのと短期簡にいろいろ見て回れるのは魅力である。


4月18日() 晴れ
    朝自宅を出て12時50分に成田空港のツアー集合場所に到着。ツアーの説明を受けた後、E−チケットを貰い、大韓航空のロサンジェルス行きにチェックイン。

    ツアー参加者は全部で34名。そのうち7〜8割が女性で、中高年の女性が多い。男性は退職した人か退職間際の人が多く、男女とも若い方はどちらかと言うと少数派であった。夫婦で参加されている方も結構おられた。このツアーの全日程で添乗員が同行される。全員集合の後説明を受け、昼食を食べてから出国手続きして大韓航空ロサンジェルス行きに搭乗。14時55分発。
    10時間近くかかるが、日付変更線を通過するのでロサンジェルスには同じ日の朝8時40分着。ここで入国手続きをする。両手の5本の指の指紋と顔写真を取られる。テロ対策なのだろうがいつも良い気がしない。さらに荷物を受け取って通関手続き。次いでラン航空リマ行きにチェックインしてスーツケースを預けた。身軽になったところで空港のマクドナルドの店で、ポテトとコーヒーを買って食べる。2時間以上待ってリマ行きの飛行機に乗った。13時50分発。


4月19日() 晴
    飛行機は8時間以上かかって、リマ空港に真夜中の0時半に到着(ロサンジェルスとの時差は2時間)。入国手続き、ペルー通貨のソルへの両替などをやって空港を出たのは一時半近くになっていた。ここでバスに乗り本日の宿泊のホテルに向った。約30分でホテル(ベスト ウェスタン ホテル)に到着。ホテルにチェックイン後、シャワーを浴びてベッドに入ったのは2時半になっていた。
    良く眠れないが、うとうとしている間に朝の6時となり、モーニングコールで起床。顔を洗いシャワーで眠気を覚まし、6時半から朝食。荷物を預けてバスで7時15分にホテルを出て空港に向った。約30分で空港に到着。ぺルー国内線のクスコ行きにチェックインして9時40分発でクスコに向った。11時前にクスコに到着。バスで空港からホテルに向かいチェックインした。(マベイパレス ホテル) ホテルのレストランでフォルクローレの演奏を聞きながら、ペルー料理の昼食を取った。

    昼食後,バスに乗りクスコ市内の主要な観光地に向った。日本で小中学校を卒業した後、ペルーに帰ってきたと言う若い女性がバスに同乗して日本語でガイドをしてくれた。先ず、バスは街を通り先ずサントドミンゴ教会に行った。教会の中に入って石組みの回廊、中庭と壁画を見学した。これらの石組みは非常に精巧に出来ていて隙間が無い。もともとはインカの神殿であったのを、16世紀にインカを征服したスペイン人たちが神殿を壊して教会にしたもので、基本の石組みはインカのものであったとのこと。その後、教会の外に出てバスに乗り、通りを少し行った所で大きな教会とその前に美しい広場があるマルマス広場に立ち寄リ、バスを降りて近くの細い街路に入った。両側の石組みの外壁が素晴らしい。12画もある石をうまく組み込んである所もあったが、組み込んだ石の間のすべてに隙間が全く無い。これもインカ時代の遺跡だが、石組みの非常に高度な技術に驚かされる。 

    その後、バスに乗りクスコ近郊のサクサイワマン遺跡の入り口に到着。入り口周辺には、路上では派手な民族衣装を着たおばさんたちが毛製品の帽子やブランケットなどのお土産を売っていた。安いし、値下げ交渉をするとさらに安くしてくれるので、ツアー参加者の中にはいくつも買っておられる方もいた。バスを降りて広い遺跡を歩いて横断した。真ん中に広い平地があり、平地の両側に小高い丘がある。この丘は石組みで固められているが、要塞なのか宗教的なものかはよく分からないと言う。スペイン人に対して反逆を企てたインカ兵が要塞として使ったが、この反逆は失敗に終わったとのことであった。右側の丘の上に登っていったが、石組みの回廊、階段があり上は見晴らしが良かった。また、ここに咲いていた野の花がきれいで印象的であった。丘から石組みの階段を下りて反対側に行き待っていたバスに乗って出発。

    少し行った所で、ケンコーの遺跡を見学した。この遺跡も大きな石つくりであったが、天然にある大きな岩を利用し岩を削ったりして作った祭礼場だとのことであった。裏側の半分洞窟上になったところを通って反対側に達してこの遺跡の見学を終えた。

   この後バスに乗り、夕闇となったマルマス広場を経てホテルに6時に戻った。シャワーを浴びてから7時半から始まる、オプショナルツアーのフォルクローレの演奏と民族舞踊を見ながらの夕食にバスで出かけた。レストランはマルマス広場の一角にあり、回りの教会などがライトアップされていて美しい。夕食はビュッフェ形式で好きなものを取れるが、寝不足とこちらの料理の味に慣れないせいかおいしいとは思えなかった。

    9時にこのディナーは終わりバスでホテルに戻った。明日の朝が早いし、これまで寝不足であったので、催眠剤を飲んで10時前に床に就いた。しかし、夜中に何回か目が覚めてしまった。

   今日のクスコ市内のいろいろのインカの遺跡の見学で、インカでは石を組み上げて作る建造物の技術が非常に高かったことが分かった。そのような高度な技術の持ち主が何故、短期間に少数のスペイン人に負けて没落したのだろうかと感じた。


クスコの町から                        サントドミンゴ教会                   サクサイワマンの遺跡
  


ケンコーの遺跡                       インカの石組の小道                   精巧な石組み
  

4月20日() 晴
    朝4時20分にモーニングコールで起床。4時45分からビュッフェ形式で朝食。朝食の方がシンプルでパン、ジュース、コーヒーがあり味に慣れているものが多いのでおいしく感じられる。今日は連泊なので荷物は置いて、5時半にバスで出発。今日の予定はマチピチュである。そもそもマチピチュに行きたいと思ってこのツアーに申し込んだので眠く感じない。バスは出発の遅れを取り戻すためにスピードを上げて山中のくねくね道を進んだ。ポロイという町を経て山道を下りウルバンバという町に達した。ここからはビルカノタ川の川沿いの道路を行きオヤンタイタンボという町でバスを降りた。この川はアマゾン川の源流となっているとのことであった。

   オヤンタイタンボで青色の観光列車に乗り換えてアグアスカリエンテスに向った。両側は急に高くなった山々が続いており、頂上近くは雪に覆われた6000m以上の山が遠望された。さらにマチピチュに至るインカの古道で今はトレッキングコースになっている山道の入り口が見えた。このような道を歩いてマチピチュまで行ってみたかったのだが。

    アグアスカリエンテスで列車を降り、バスに乗り換えて狭い山道を上がりマチピチュに10時前に到着。ここでチケットを貰いマチピチュのゲートに入った。ガイドに付いて、段々畑(ここも遺跡)を上がり、マチピチュ全体を見渡せる所まで上がった。写真でよく見るマチピチュ遺跡が目の前に見える。急な山の上に良くこんな石つくりの街や段々畑を作ったと感心する。ここも石組みは非常に精巧である。その後、ガイドの説明を聞きながらルートに従いマチピチュ遺跡を2時間半くらいかけて見て回った。当時のマチピチュにとって必要な水ははるか下を流れるビルカノタ川からとっていたと言う説明があったが、どのようにして汲み上げたのであろうか?目の前に見える急な小高い山(ワイナピチュ?)に、何人かの人が上がっているのが見えた。登って見たかったが時間の関係で無理。マチピチュは世界遺産でまた観光用にも良く保存、整備されており、多くの観光客が来ている所である事がよく分かった。

    12時半頃、バスに乗りアグアカリエンテスに戻り駅近くのレストランでフォルクローレの演奏を聞きながら昼食を取った。昼食後,自由時間が2時間。多くのツアー参加者は駅近くのみやげ物屋に向ったが、自分は駅の待合室で休憩。4時過ぎの列車に乗って行った。途中、民族衣装を着た人によるダンスなどのパフォーマンスとアルパカ製のセーターなどのファッションショーと販売があった。オヤンタイタンボでバスに乗り換え暗くなった山道をクスコに戻り、クスコ市街の夜景を眺めながらホテルに戻リ、フォルクローレの演奏を聴きながら夕食を取った。こちらの料理は量が多く味が塩辛く、量と味の点で、日本人向きで無いと感じた。本日は10時過ぎに就寝。

      マチピチュに行く途中の列車から                  マチピチュ
           



   


4月21日() 晴 後曇り、一部小雨
    朝6時にモーニングコールで起床。6時半朝食。7時半にバスに乗り、プーノに向った。途中は標高3500〜4000mのアンデスの中の山道。周りは5000m級の山々。今回の旅行の最高地点のララヤ峠(4335m)で休憩。ここでも道路沿いでみやげ物を売っていた。うす曇で寒い。ツアー客の中には高山病の症状で気分が悪そうな人が何人かいるようであった。雨雲がかかり峠からの下りで小雨が降ってきたが、下に降りて行くと雨は止み天気はもってくれた。3時頃、チチカカ湖のほとりの町プーノに到着。ここで標高3812m。富士山より高いことになる。

   チチカカ湖の名前は知っていたが、琵琶湖の広さの13倍もあるという。富士山より高い所にあるというのが信じられないくらいである。プーノはチチカカ湖の中の湾沿いにあり、ここからは湖全体を見渡せないのでチチカカ湖がそんなに広いようには見えなかった。チチカカ湖のほとりの桟橋から観光船に乗ってアシを積み重ねて作った浮島のウロス島に渡り、そこに住んでいる民族衣装を着た人たちの歓迎を受け説明を聞いた。ガイドが通訳してくれた。ここでは約10家族が住んでいるとのことであった。このアシの浮島は結構広い。その後、アシで作った家や船を見学し、その人たちが作ったと言う織物などのみやげ物を買った。さらに、観光船でもう一つのアシの浮き島に渡って行った。こちらはさらに広い。こういう浮島がこの近くに何箇所かあり、アシ製の家と船を利用してチチカカ湖の魚を取るなどをして暮しているとのことであった。

    5時過ぎに船でプーノの桟橋に戻り、バス2台に分乗してホテルに向った。ホテル(ケルケタニ ホテル)には6時半頃到着。自分も含め2つ目のケルケタニ ホテルに泊まったグループには添乗員の代わりに旅行社のペルー現地事務所の三宅さんが対応してくれた。このホテルのレストランで7時半から夕食。チチカカ湖で獲れた虹鱒のソテーが夕食のメインディッシュであった。癖が無く比較的おいしかった。この後、シャワーを浴びて10時ごろ、今日も催眠剤を飲んで寝た。


       ララヤ峠(4335m)で                   チチカカ湖 ウロス島で
          

4月22日() 晴
    5時モーニングコールで起床。5時半朝食。6時半にバスでホテルを出発。8時前にフリアカの町の空港に到着。リマ行きの飛行機にチェックインして搭乗後、飛行機は9時5分に離陸。10時45分にリマ空港に到着した。その後、バスに乗りリマ市内を見学。ここからは新たに現地在住の日本人女性がガイドを担当してくれた。大統領府の衛兵交代式を見てからレストランで昼食。牛のハツの串焼き、チキンのロースト、ポテト及びデザートの甘い蜂蜜をかけたドーナツなどが出た。おいしいとは思ったが量が多すぎる。少し無理をして食べたが、それでも食べきれず残してしまった。

   その後、ナスカへの長いバスの旅。海岸沿いのトランスアメリカハイウェーで多くは片道2車線の良い道であった。ただし、それほど高くは無いが有料道路で何箇所かの料金所で止まった。途中トイレ休憩でアイスクリームを食べたりして、8時半頃にやっとナスカのホテル(カサ アンディーナ)に到着。途中の景色は海岸沿いの砂漠性気候であるため、カルフォニアの海岸沿いと若干似ており、昨日までのアンデス山地の景色とは全く異なっていた。

    9時頃から、ホテルのレストランでビュッフェ形式の夕食。これまでの食事で殆ど無かった生野菜が多くホッとして沢山食べたが、これが良くなかったようで後日の下痢症状の原因であったかもしれない。10時過ぎにシャワーを浴びて11時過ぎに就寝。

       大統領府のある広場                    大統領府の衛兵交替式
             

4月23日(木) 晴
    本日は実質的な意味でペルー旅行の最終日でナスカの地上絵を見学する。朝5時半にモーニングコールで起床。6時に朝食。荷物はホテルに置いたまま、バスで6時50分出発し、地上絵がある近くの空港に向った。軽飛行機に乗り上空から地上絵を見る。これまでナスカの地上絵については写真を見たり本を読んだりしたが、実物を見るのはもちろん初めてである。軽飛行機は5人乗りのセスナかもう少し大きな12人乗りの飛行機。朝早いにもかかわらず大勢の人が待っていた。順番に乗っていき我々のグループの最後に12人乗り飛行機に乗りすぐに離陸して空から地上絵を眺めた。操縦士は右に左にと旋回しながら、それぞれの絵を呼び上げながら飛んでいった。写真で見たことがある絵だが、まるで観光用に作ったかのように見えた。これが1500年以上前に作られたと言う。何故作ったのかとか1500年以上も消えずに残っていたとかで驚きであった。しかし、次々に現れるいろいろの地上絵を見ていると、一つ一つの印象は薄れてきてしまう。30分ほど飛んで地上絵を見た後、飛行機は空港に戻った。

    待っている間、となりの席に座っていた若い日本人の男の人と少し話をした。彼は会社を辞めて一人で南のパタゴニアから長距離バスを乗り継いで来たとの事であった。2ヶ月くらいで南米を回る予定だとのことであった。その人は呼ばれて飛行機に乗っていった。自分も若ければ同じようなことをやってみたいと思うが、そんな気力と体力が無くなったと感ぜざるを得ない。

    その後、バスで道路沿いの地上絵見学用の展望台の上に上がり近くから周辺にある地上絵を眺めた。足元の砂地の土の状態からすると、1000年以上も土に彫られた溝で出来た絵が残っているのが不思議な感じがする。非常に雨が少なく土も比較的硬く、しかも植物、動物、人が殆ど入って来なかったったためであろうか?おそらく溝の上に溜まっていた砂などを取り除いて良く見えるように整備したのであろう。

    バスはナスカのホテルに戻り、ホテルのレストランで昼食後、荷物をまとめてチェックアウトした。この昼食も生野菜がありホッとした。その後一時間ちょっと自由時間があったので、近くの通りのスーパーマーケットで買い物をした後、向かいの食品市場に入って野菜売り場を順繰りに眺めた。日本と共通の野菜が多いが見慣れないものもあった。赤い色のジャガイモ(今植えているアンデスという品種に近いもの?)の他、数種類のジャガイモが売られていた。価額は値札が付いていなかったので分からないが、多分かなり安いのであろう。時間はそれほど無い。ホテルに戻りバスでリマに向う。最初のトイレ休憩ではインカコーラのアイスキャンディーを買って食べる。2番目の休憩所は総合土産物屋で、ここでコーヒー豆、チョコレー路などを購入した。バスは北に進み左側(西側)には時々太平洋が見え、陽が沈んでいった。暗くなった8時ごろにリマに到着。ペルーでの最後の夕食はリマの日本料理店。久しぶりの日本食で皆さん食が進んだようであった。その後リマ空港に行きロサンジェルス行きの飛行機にチェックイン。リマ空港でお土産を買い飛行機に搭乗。

     空から地上絵を見学                          空から見た地上絵

           


      展望台から地上絵を見学                      展望台から見た地上絵
          

4月24(金)〜25日(土)
    飛行機は真夜中の1時40分に離陸。8時間半かかってロサンジェルスに8時15分着。空港でうるさい入国、出国手続きの後、成田行きの飛行機に搭乗し、長い10時間の後、成田に翌日の3時頃到着し、ツアーは終了し解散した。同行者の皆さん、お疲れ様でした。疲れたけど楽しかったですね。添乗員の橋本さん、有難うございました。

          帰りのLA空港で                  添乗員さん 
                         
          

今回のツアーで感じたこと

1.団体ツア
    今回初めて団体ツアーに参加して行ったが、ハイシーズンでない事もあるがやはり安価であると感じた。この値段でマチピチュに行けたし、ペルーのツアーを楽しむことが出来た。参加者が34名と多くなるのも当然か?旅行業界もユニクロ化現象、価額破壊みたいなものが起きているのではと思ってしまう。安い値段で出来るだけ多くの観光スポットを短期間に回ろうとするため、スケジュールがハードになるのはやむを得ない。ツアーの値段には交通費、ホテル代の他、夕食を含め殆どすべての食事、添乗員さん、現地のガイドさん、途中で高山病対策で同行したお医者さん、看護師さん及びポーターあるいはレストランでのチップなどの費用すべてが含まれていた。安いですねと言うと、添乗員さんは企業努力ですと言っておられた。

   もし、個人で同じような所に行くとすると交通手段の関係でもっと日数はかかるし。このツアーよりかなり高くなるであろう。しかし、その分、気の向くままに旅をゆったりと楽しめることが出来るが。

   安宿、安い食事で公共輸送機関のみを利用して行けばもっと安くいけるかも知れないが、言葉の問題、治安、体力とかで今の自分ではどうかな?

2.添乗員
    今回、添乗員として橋本さんと言う若い女性が最初から終わりまで同行された。34名の大人数で、ハードスケジュールにも関わらず笑顔を絶やさずによく通る声で説明され無事にツアーが終了した。このようなツアーでお客が安心して楽しんでいけるのも添乗員の寄与が大きいと感じた。

3. 生野菜、生水
    今回、生水は飲まないようにと注意されていた。生水は飲まなかったが、ツアー最終日から帰国後にかけて下痢症状になってしまった。同じようなことは4ヶ月前のキリマンジャロに行った時もあった。考えて見るといずれの場合でも旅の終わりの方で、生野菜のサラダや生の果物を結構沢山食べていた。生野菜は当然のことながら水で洗っただけであり、野菜には生水が残っている。そこで、沢山の生野菜を食べると言うことは生水を飲んだのと同じことになる。衛生状態が非常に良い所に住んでいる日本人が生水に入っているであろう微生物に対して免疫力が無く下痢症状になるのは当然かもしれない。発熱も頭痛も無く一過性で下痢症状などになるのはあまり気にしないでいたほうが良さそうだ。

4.     高山病
    今回のツアーでは標高の3000〜4300mのアンデス地域を行った。一泊したチチカカ湖のほとりのプーノの町は標高3800mを越え富士山より高い。日本人には高山病の恐れがある。ツアー参加者の中には高山病の症状で苦しそうな人も見られた。自分はこれまでの経験でこれくらいの標高ではよほど体調が悪い時で無ければ高山病にならない。今回わずかに頭痛を感じたことがあったが、寝不足のせいか高山病の兆候かは分からない。このツアーでは高山病対策で、高地を行く時には現地のお医者さん、看護師さんが付いていた。帰り際のバスでこのお医者さんに伺った所、5人の方に高山病の処置をされたと言っておられた。

5.       ジャガイモ
    ジャガイモはインカの食料でインカではジャガイモの種類が2000以上あり。地域、標高、季節によって作られるジャガイモの品種が異なっているという。さすが、ジャガイモの原産国である。世界中で栽培されているジャガイモの原種はアンデスで栽培されていたジャガイモである。日本で栽培されてスーパーなどで売られているジャガイモは男爵とかメークインと言った品種である。しかし、アンデス、インカノメザメ、インカレッドなどの名前が付けられたジャガイモの品種もある(現在、これらの品種も自分の菜園で栽培している)。ナスカのスーパーで売られていた赤いジャガイモは今栽培しているアンデスと似ていた。多分、こちらの原種を基に日本で品種改良されたものだと思うがどうだろうか?シャモニ(フランス)、ナイロビ(ケニア)、ナスカ(ペルー)いずれのスーパーでも赤いジャガイモを含め、何種類かのジャガイモが売られていたのに、日本で売られているジャガイモの品種は少ない。