桧枝岐歌舞伎を見る
  2018年8月18日

   8月19日に会津駒ヶ岳に登るため前日の18日に麓の桧枝岐の民宿に泊まることにして電話をした。ところが、18日は桧枝岐歌舞伎の奉納があるためほとんどの民宿は満員で、その民宿はたまたまキャンセルがあったので泊まれることになった。ついでに桧枝岐歌舞伎の奉納の話を伺うと、夜6時頃から入場、7時開演で入場料は要らず先着順だとの事であった。話には聞いていた桧枝岐歌舞伎を観劇する良い機会である。

    早めの夕食は4時半からとの事で、少し急いで3時半に民宿に到着。近くの燧の湯に入浴後、早い夕食を取り。防寒用に山用のインナージャケットを持って、公演会場の神社に向かった。

    既に大勢の観客が奉納する神社に向かう露地に詰めかけていた。幟の旗も沢山立っていて賑やかであった。この公演は神社に対する奉納なので入場料は無料で先着順に席を埋めて行くとの事であった。舞台は本物の歌舞伎より小さいが立派なものでさすが、無形文化財にもなっている桧枝岐歌舞伎である。

    すでに前の方は大勢の観客で埋まっている。中ほどの神社の石の階段の端に席を取った。待っている間にだんだん寒くなって来たのでインナージャケットを着こんだ。開演の7時前にはほとんどの席が埋まっていた。

    開演に先立って元アナウンサーであった方による桧枝岐歌舞伎の紹介と本日の演目、出演者の紹介があった。桧枝岐歌舞伎は江戸時代に始まる農村歌舞伎で出演者は全員村の人で、本職は別にある素人だが稽古を重ねて玄人に負けない歌舞伎を演ずる。江戸歌舞伎で演ぜられる演目以外に当地で作られた他では見られない演目もある様で興味をそそられる。


    

    7時に開演。最初は地元の高校一年生による3番奏の演技。衣装も立派で高校生とは思われないような踊りでさすがと思った。


    


     ついで、最初の演目である南山義民の碑 喜四郎子別れの段(全四段)。江戸時代に有った南山御蔵人騒動と呼ばれる百姓一揆に端を発した小栗喜四郎他による江戸幕府への直訴を劇化したものだと言う。桧枝岐出身で医者になった芝居好きの馬場霞堂と言う人が江戸時代にあった実際の話を基にしてこの戯曲を書いたとの事で、桧枝岐歌舞伎独特の演目であるとの事であった。主な登場人物である小栗喜四郎、その母、その息子は実際の親子三代の方が演じられた。


    


     迫力ある演技で、この地に独特の演目がこのように続けられていることに感心した。桧枝岐歌舞伎が村人に定着して長いこと受け継がれてきて、今では外部の観光客も大勢が観劇している。

     最初の演目は拍手をもって終わりとなった。その後、初めに出て来た元アナウンサーの桧枝岐歌舞伎の話、さらに各支援団体、会社から幟旗の贈呈があった。

     二番目の演目は一之谷ふたば軍記(須磨浦の段、熊谷陣屋の段)であったが、寒くなって来たのと明朝早く会津駒ヶ岳に登るので、残念ながら見ずに宿に戻った。

     話には聞いていた桧枝岐歌舞伎を実際に見ることが出来て幸いであった。