南三陸町で災害ボランティアを体験
(2011年6月7日)


前夜のうちに高速道路を通り築館ICを経て南三陸町に向かった。やはり、関東からは遠く時間がかかる。途中のコンビニで明日の朝食と昼食のおにぎり、お茶などを買い、南三陸町の手前の道路から少し入ったわき道の片隅で車中泊。

朝早く起きて朝食を取り、南三陸町のボランティアセンターに向かった。途中、被災を受けた南三陸町の中心部の市街地を通った。驚いたことに市街地の瓦礫、建物が無残に壊れた状況は地震、津波直後のテレビで見た映像と変わらない。道路上の瓦礫は道路脇に撤去されて車が通れるようになっていたが、3ヶ月経っても全く復旧に入れずにいることを知り、改めて震災の大きさ、復旧の難しさを痛感した。

災害ボランティアセンターは南三陸町の高台にあるベイサイドアリーナという大きな施設の横に有った。ここには、仮設の町役場が設置されているとのこと。横の広い駐車場にはには仮設の町立病院、前の広場には支援のための自衛隊駐屯施設,重機が見えた。

広い駐車場に車を停めて、目の前に止まっていた静岡ナンバー、室蘭ナンバーの車の方にここでのボランティアの様子を伺った所、彼らは30日以上ここでテント泊や車中泊しながらボランティア活動を続けておられるとのことであった。彼らはここで長い間ボランティア活動をしているので事情が分かってきて抜けるに抜けられないと言っておられた。いろいろやっていると不満な点も見えてくるとも言っておられた。

南三陸町は町の殆んどが大きな被害を受けたので地元のボランティアの数は限られるし、また、関東など都市部から遠いので遠方からのボランティアの数も少ないと言う印象を受けた。NPO団体のメンバーが個々のボランティアセンターの運営をやっておられるとのことであった。NPO団体の方、個人で長期間やっておられる方の尽力でボランティア活動が出来ている。本当にご苦労様です

被災地はどこでも同じようなものだろうと思っていたが、個々に抱えている問題、事情は異なると実感した。

8時過ぎになると続々宮城ナンバーの車が駐車場に泊まり、ボランティアの数は増えてきた。8時半からボランティアの受付、割り振りが始まった。割り振りを取り仕切っているボランティアの女性がてきぱきと決めていった。ここでも瓦礫撤去の要請が多いようであったが、支援物資の仕分け、大工さんのお手伝いなどもあった。

自分の名前を呼ばれて、3人で被災者への自立支援米の支給業務のお手伝いを向かいのベイサイドアリーナの正面一階でやることになった。長靴、長袖のシャツから屋内業務の格好に履き替えて仕事の説明を受けた。

6月6日から10日まで南三陸町の被災した住民に20kgのお米を支援米として無料で支給するとのことであった。先ず来られた人は申し込み書に必要事項を記載して受付に行き、係員によるパソコンでのチェック受けて引換券をもらい、引換所でお米を受け取る。

我々の仕事は最初の申込書を書く段階での説明を行なうことであった。なおパソコンによる受付チェックは東京から派遣された役所の人行なっており、お米を引き渡すのもボランティアの人がやっているようであった。

申込書に記載する欄は震災時点の住所、所帯主の名前、現住所や避難所の名前などを書く欄がある。受付がしやすいように来られた方に説明しながら記入して貰う作業は多くの被災者の話、実態を伺うことにもなる。

所帯主のご主人や父親が未だ行方不明の方も何人かおられた。小さな子供をつれた若いお母さんが主人は未だ行方不明でと言われた時には何と言って良いか分からなかった。また、70代の女性で元気な方がこんな苦労するくらいなら自分も津波に流されて死んだ方が良かったと言われた時には、そうかも知れないと思いながらも身体はしっかりしているようだし頑張って長生きしてくださいと返答したら、そうだね100歳まで頑張って長生きするぞと空元気だろうが言っておられた。

避難所にいるのに今お米をもらっても置き場もないし仕方が無い将来必要になるだろうが何時まで受け付けるのかとか、この支援米を支給すると言う連絡は役場から無く知り合いに聞いて来た。もっと連絡をきちんとやって欲しいなどと言う苦情もあった。

それぞれもっともな意見であったが、にわかボランティアとして何と言ってよいか分からない。町の役場の人も殆んどが被災者であり、業務も沢山あリ、この場には役場の人はいないようであった。

このような作業を3人で昼休みや適当な休みを交代で取りながら9時から4時過ぎまで行い本日の作業を終えた。一緒にやった大阪のFさん、宮城栗原市のTさんお2人とも気が利く良い人達で初対面であったがチームワーク良く作業が出来た。

泥かき出し作業などより軽作業であったが、大勢の被災者の方と接して話を聞きながら少しでも支援出来たかなと思った。帰り際には具沢山の焼き飯を頂いた。非常においしかった。

今週末までこの作業は続くが一緒にやった3人とも今日でお終い。一人くらい経験者がいると明日からの作業に都合が良いのだがと言われて少し心が動いたが、明日は用があるし自分の畑も気になるので帰ることにした。

まだまだ、復興は見えてこないし、ボランティアも必要だろう。近いうちにまた来ようカと思いながら帰途に着いた。