南相馬市鹿島地区で2度目の災害ボランティアを体験
(2011年6月5日)

5月のGWには大勢のボランティアが全国から被災地に向かったが、その後は少なくなったとのことである。3ヶ月近く経ったが、復旧はまだまだで災害ボランティアのニーズは大きい。4月に訪れた南相馬市のボランティアセンターに電話したら受け入れを歓迎するとのことであった。4月から状況はどう変わったかを見てみたいとも思い再度訪れた。

4日の夕方自宅を出て北関東自動車道、東北自動車道を経て松川福島PAから南相馬に向かった。前回同様川俣、飯館を経て飯館村の村民の森あいの沢と言う公園に上がり車中泊した。飯館村は避難区域に設定されたため道路沿いの家は灯りがついておらず全く人気が無い。所々灯りがついている家は避難されず残っているお宅だろうか?

翌朝早く起きて南相馬市に向かい前回は通らなかった海沿いの道路を通って見た。道路上の瓦礫を撤去して通れるようになっており、大きな瓦礫は瓦礫置き場にでも移したように思えたが、まだ壊れたトラクターや車の残骸が道路わきに残っており復旧はまだまだである。さすがに前回多数見られた打ち上げられた漁船などは撤去されていた。

    

海岸沿いだが高台に立っている火力発電所は無傷のように思えたが、下の港や燃料の積み入れ貯蔵施設、送電線が壊れて使い物にならず未だ稼動出来ない状態とのことであった。

8時前に災害ボランティアセンターに向かい登録すると共に、支援物資として持参した2日前に掘った新ジャガイモ5kgくらいとパセリの苗10株ほどを
隣の避難所の受付に届けた。このようなものを受け容れて良いかどうか市役所の担当者に電話して聞いて見なければいけないと言っていたが、結局は喜んで受け入れてくれた。

8時半にボランティアが集合。全員で70〜80名だろうか?多くは地元のボランティアのようだったが遠方から来られた人もいる。仕事は被災した小学校の瓦礫撤去と後片付け清掃、個人のお宅の瓦礫撤去片付け、写真やアルバムその他遺留品の清掃であった。多くのボランティアは小学校や個人お宅の瓦礫撤去の方を希望していて、遺留品の清掃は一人しかいなかったのでそちらをやることにした。

リーダーは地元のボランティアで長いことここの遺留品の洗浄、展示に携わってきたお2人。東京から来られたと言う女性のボランティアと私の4人で、前にも行った遺留品が置いてある倉庫に向かい作業開始した。

リーダーの地元のボランティアの方は最後までこのボランティアを続ける積りだ、この作業のボランティアの希望者は少ないのでなかなか進まず、後一ヶ月以上かかるだろうと言っていた。

前より遺留品の数はかなり少なくなっているもののまだ持ち込まれて来るものもあるという。更に、洗浄が難しいものが残っているので作業に時間がかかるとのことであった。

写真、アルバム,手紙の汚れを取る作業を続けたが、泥土の汚れがかわ張り付いていて取り除くのに時間がかかる。力を入れすぎると写真やアルバムを傷つけてしまうし、力を入れないと汚れが取れない。手加減が結構難しい。途中昼休みの休憩を挟んで9時過ぎから3時半まで作業を続けたが出来たのは多くない。残念ながら瓦礫撤去をするより達成感が少ない。希望者が少ないのも分かるような気がした。

4月に同じ作業をやったときはリーダーは遠方から来たボランティアで10人近い人がこの作業にあたっていたが、一ヶ月半以上経ても同じような作業が必要なことを再認識した。

ボランティアセンターに戻って終了の受付をして車に戻り、翌日の月山山行のため麓の志津温泉に向かった。