南相馬市鹿島地区で災害ボランティアを体験
(2011年4月17,18日)

東日本大地震から既に一カ月以上経っているのに復旧は遅々として進んでいないようである。震災直後の緊急の支援、ボランティアは終わったかもしれないが、避難している人は未だ大勢いるし、復旧支援はこれから必要になる。特に南相馬市などの周辺の地域は大津波で被害にあったにもかかわらず、原発の事故のため放射能の問題もあり支援は充分で無く問題であろう。

RSSAのMLでMさんが災害ボランティアは山行きと準備、行動が似ているのでボランティアーに一緒に行きませんか?との勧誘があった。。

災害現地はどこでも人手が必要である。自分も猫の手よりはましだろうと好奇心もあり手を上げたが、体力のあるMさんと遠方まで行き同じ行動をするのは少し不安。そこで、単独で行くことにして南相馬市の災害ボランティアーセンターに電話したら、受け入れを歓迎するとのことであった。

南相馬市は自宅から北関東自動車道、東北自動車道を経由して車をガソリンを満タンにしていけば丁度往復できる距離にある。16日夕方から出かけ、17,18日のボランティアーをやることにした。

南相馬市は原発から20〜30km圏内の地域もあり避難するかしないかで混乱しているところもある。また、海岸沿いは津波の被害が大きいがまだあまり支援の手が届いていないようである。

16日の夕方自宅を車で出た。いつも山に行く時の車中泊用の寝袋、マット、食料品とガスボンベとコンロ食器セットを積み込んだ。更に、箒と5,6枚のぼろ雑巾、支援物質になるかどうか分からないが大きな箱一杯の取れたての根、泥つきのネギを臭いが出ないようポリ袋を被せて積み込んだ。根、泥つきのネギは生ものだが比較的長持ちするし、ラーメンや味噌汁に入れるとそれだけでおいしくなる。

東北自動車道は上下線とも大型トラック、災害支援の車、警察、自衛隊関係の車の通行が多かった。二本松ICを出て安達、川俣、飯館を通る山道を進んだ。飯館村は何の被害も心配も無さそうな山村に見えたが、放射能が強い地域としてメディアに良く登場する。夜間通行したのでよく分からなかったが、道路沿いも人気、明かりが少ないように感じた。

途中、飯館村の村民の森あいの沢と言う公園に上がり、ここで車中泊することにした。公園はもちろん人気が無く閉鎖されていた。

4月17日:遺留物の洗浄、思い出おかえし隊のボランティア
17日朝6時ごろ起きて朝飯後、南相馬市に向かった。少し迷ったが災害ボランティアセンターがある南相馬市社会福祉会館に7時半頃到着。広い駐車スペースには支援の車が沢山停まっていた。あたり一面桜が満開できれいである。辺りを見回したところ地震や津波の被害は見られず、来る場所を間違えたかと一瞬思ったほどである。ここは比較的内陸部にあり被害は大したことが無いようであるが、海岸沿いは津波で全滅の悲惨な状態になっている。

   

8時過ぎにボランティアー受付に行き説明を聞き登録した。持ってきた支援物資のネギを渡した。比較的長持ちしますが、生ものですので出来るだけ早く食べてくださいと言ったが、人手が足りないのでその処理にお手が回らず腐らしてしまい捨てる手間がかかってしまう支援物資災害とならないか若干気がかり。担当の方はこの地区はスーパーが未だ開業しておらず、生の野菜は充分役に立ちますと言ってくれたが。

ボランティアーの受付業務も殆んど若いボランティアがやっていたが、熱心にてきぱきとやっていて頼もしく思った。ボランティアの半数以上はもちろん地元の人で、残りは遠方から来た人のようであった。東京など関東地区、長野、京都大阪など関西地区など全国各地からやってきている。私のような中高年もいるが、各地から来ている人は若者が中心。日本の若者も捨てたものでないと改めて感じた。

ボランティアがやる業務も非常に多岐に渡っているのに若干驚いた。

津波被害を受けた鹿島地区のお宅に行き泥土撤去、瓦礫片付けなどのおうち片付け隊、
津波被害を受けた鹿島地区から持ち帰った泥まみれの慰留物の洗浄と展示を行う思い出お返し隊
市役所の事務受け付け手伝い
物資の搬入業務
避難所の運営補助
復旧資材の受け入れ管理
ボランティアの受付業務
授業を受けられない小学生の学習指導など
新たな避難所の掃除、設置、設置作業など

本日は、遺留物の洗浄を行うボランティアに参加することにした。全部で10名くらいだろうか。リーダー(この人もボランティア)の指示に従い車に分乗して遺留物が置いてある場所に移動。大量の泥まみれの遺留物がプラスチックのかごに入っていた。一人が一つのかごを受け持って、中に入っている写真やアルバムなどの遺留物の泥を落とした。

被災者の皆さんはすべてのものを家に置いて着の身着のままで逃げられている。家は津波で押し流されたのですべてのものが押し流されて泥をかぶっている。結婚式や出産、旅行、卒業式、家族の写真やアルバムを見ながら泥を落としたり洗浄する作業は何とも言えないものがある。

    

位牌、アクセサリー、貯金通帳、鞄、楽器などいろいろのものが入っていた。

昼休みを挟んで4,5時間かけても洗浄できたのはかご一個分。それも完全とは言えないし、カラー写真などは色素が流れて駄目になったものも結構ある。新たに消防団から持ち込まれて来る遺留物のほうが処理したものより多いくらいである。

それでも、被害を受けられた方が見に来て自分の写真や持ち物をうれしそうに持ち帰られたのを見ると嬉しくなる。この作業を遠方から来て一週間もずっとやっておられる方もいる。

4時前に作業を中断して片付けて掃除をして本日のボランティアは終了。車に同乗してセンターに戻った。後は自分の車に戻り、横になった後、カップラーメン、山用のフリーズドライの五目御飯、味噌汁で夕食。後は車の中で寝るだけ。

4月18日:泥土出しのボランティア(お家かたつけ隊)
朝6時前に目が覚め、6時半に起きて朝食。7時半にはもうボランティアの受付の人が準備をしていた。ボランティアの登録、今日は泥土出し、瓦礫の撤去のボランティアを体験することにした。昨日と比べて重労働とのこと。今日は昨日に増して大勢の人がボランティアに参加していた。中高年の多くは地元の方のようである。また、昨日以上にやることが多いと言う。仕事の割り振りなどもボランティアの責任者が次々と決めていった。

泥土だしのボランティアは全部で10数人。先ず、リーダーの車について資材を置いてあるセンターに向かった。その後、4,5人が一組になり、個人のお宅に伺い津波が運び込んできた大量の瓦礫、泥土を撤去する仕事を行う。自分の車(ワンボックスカー)に一輪車やシャベルデッキブラシなどを積み込んで、一人助手席に乗ってもらい先導の車に付いて今日の依頼主のEさんのお宅に向かった。後ろに3人が乗った車が付いてきた。今日のチームは全部で5人。

始めは津波の被害地などどこにあるのと言う感じであったが、着いて見るとびっくり。車や人が通れる道は確保されているが、辺りは瓦礫が散乱している。Eさんのお宅の目の前は田んぼで海岸まで2,3kmの距離はありそうだが、海岸まで瓦礫が散在している以外何も無い。近くにはかなり大きな船(漁船が)田んぼに横たわっているし、大きな松ノ木が根こそぎ倒れており、ビニールハウスの鉄パイプが無残にひん曲がっていた。海岸沿いの道沿いには人家があったそうだがすべて流されて何も無くなったとのことであった。

Eさんのお宅も津波が1m以の高さで来た様で、外見はなんでも無い様に見えるが、家の中は泥だらけで有ったようである。結構丈夫そうな塀は流れてきた舟と激突したためか壊れていた。家の中はEさんが方付けて洗浄をしていたが、それ以外には手が回らず庭や農機具、トラクターなどを保管していた横の倉庫は泥土と稲わらにまみれていた。この泥土は稲わらと混じって10cmmくらいの厚さになって一面を覆っていた。稲わらは昨秋コンバインで稲刈りをしたとき肥料としてすきこんで使うため置いてあったものが大量に津波に運び混まれて泥土と混じったようである。

    

我々、5人のボランティアの今日の仕事はこの倉庫の中と庭の泥土出し。乾いたところは壁土のように固くスコップでも容易に取り出せない。持参した一輪車、スコップの他、Eさんの所にあったホーク,三角鍬、一輪車を使って泥土を目の前のEさんの田んぼ片隅に運び出した。下はコンクリートであるが、ものすごい大量の泥土。置いてあった管理機、比較的新しいトラクターも津波に被ってわらくずや泥まみれ。

5人がかりで、午前中に倉庫の中の泥土を運び出した。昼休みは一時間。3人は車で食べに行った。パンを持ってきた自分はEさんの家族と話をしながら昼食。野菜やおにぎりまで分けていただいた。津波の時に逃げた話などを伺った。

午後からは倉庫とつながっている庭の方の泥土、稲わら、ゴミなどの撤去。3時で本日の作業は終わりとなったが、未だ庭の半分以上の泥土、ゴミ、藁くずの撤去が終わっていない。

Eさんから感謝の言葉とジュースなどを頂き、、持ってきた一輪車、スコップなどを積み込み、センターに戻った。センターに器具を返却し、報告を終えてから、チームの5人で記念の写真を取り解散した。その後、少し後ろ髪を惹かれる思いをしながら帰路に付いた。途中6号線沿いを通って行ったが、海岸沿いは瓦礫の山で、大小の船が横たわっているのに、内陸側はなんとも無い。そのあまりの違いに驚いた。

            

目の前の田んぼに拡がっている大量の瓦礫、横たわっている壊れた大小の船など全く片付いていない。復旧と言っても膨大な作業が必要であることを実感した。

そして、北は青森県の八戸から南は千葉県の旭市まで海岸沿いはみな似たような状況であろう。その上、福島県の海岸沿いは原発の放射能の問題もある。まだまだ、多くのボランティアも必要であろう。

今回、若い人に混じって同じ作業をしたが、やはり腕、肩、腰が痛くなった。菜園の農作業よりきつい。年玲の差を痛感するとともに、自分の体力を考えると2日くらいが限度かなと思ったが、良い経験をさせて貰った。

大勢の若い人が各地からやって来てボランティアをやっていることを頼もしく思った。また、それほど大勢でないが遠方からの中高年の人も頑張っていた。