4-1-9.新技術、研究開発の調査

   30代初めから40代初めまでの間、自分の直接の研究とは別に以下のような技術に関する調査と評価の仕事に携わったことがある。技術の調査、評価を行っていたシンクタンクの研究員であった先輩の増川さん、あるいは科学技術、産業技術方面の日本経済新聞の新聞記者であった友人の鳥井君からお誘いがあったので喜んで参加したからである。調査に当たって、その分野の専門家に直接面接してお話を伺い、専門書を読むとともに、調査プロジェクトのメンバー(同世代の分野が異なる大学の若手研究者、企業、国立研究所の方など)と7時過ぎに集まって夜遅くまで議論したのが懐かしく思い出される。最終原稿を徹夜で書いたりしたが、楽しく貴重な経験であった。技術開発、新技術の予測評価などで教えられる点が多かった。未来の新しい技術の予測などは今までの延長のことなら出来るが、そうでないなら非常に難しいと感じた。

 1.公害防止に関するコンビナート構想
    (都市ゴミ、廃棄物を資源として利用するコンビナートの構想)   
      1973、政策科学研究所

 2.我が国の技術革新の源泉
     (成功を収めた技術の研究開発、実用化過程の実態調査) 
     1976、政策科学研究所

 3.新しい紙パルプ製造技術(新蒸解法パルプ製造技術)のフィージビリティー調査
     (低公害、省エネルギーの紙パルプ製造技術の調査)
      1984、工業開発研究所

 4.バイオテクノロジーの技術評価に関する研究
    (バイオテクノロジーの技術開発が将来どのようになるか?の調査研究)
      1986,日経産業研究所

2番目の我が国の技術革新の源泉についての調査で、その当時、国有特許の稼ぎ頭であったグルコースイソメラーゼの製造技術を確立した微生物工業研究所の高橋義幸氏に面接して個人的に色々お話を伺った事がある。グルコースイソメラーゼはデンプンから得られるブドウ糖を果糖に異性化する酵素で、高崎氏の研究の結果工業的に実用化出来る酵素が見つかり、安価にブドウ糖から異性化糖に変換して大量に甘味剤が出来るようになったものであった。当時、高崎氏は30代半ばで、ご自身でこのテーマを設定して一人でこつこつとこの研究をやっておられたことが面接の話で分かった。この技術に関する話以外に、この成果による報酬はどうなったのか、研究テーマの設定はどうされたのか、研究所からの研究管理はどうなっているのかなどを伺った。その話から国有特許の稼ぎ頭になるような仕事をしているのに技術者、研究者として報いられていないなと感じた。その後、高崎氏は宮崎大学農学部に転じておられる。時代はだいぶ後になるが、日亜化学で、一人で研究をして青色LEDの開発を成し遂げたという中村修二博士にも共通するかも知れない。現在、多くの研究所でプロジェクト方式になり、個人の研究がやりづらくなっていると聞く。また、特定の研究分野に研究費が集まるようになってきたようである。これで本当によいのだろうか?若い頃に戻って、もう一度調査の仕事をやってみたいと思うが、当時の馬力も気力も無いのを痛感せざるを得ない。