4-1-5.研究分野のライフサイクル。研究分野の変更

人生にライフサイクルがあるように、研究についてもライフサイクルがある。萌芽期、勃興期、成熟期、そして衰退期に至る。たとえば私が関わった核酸科学の分野では、1950年代から970年代初めまでのワトソン、クリックの2重らせんモデルの提唱から始まってRNAへの転写、さらにRNAからタンパク質の合成に至るセントラルドグマの確立、遺伝暗号の解明を経て1970年代のはじめの一時期、ほぼこの分野は確立して成熟期に入ってしまったと思われた。ところが、1970年代半ばから出てきた遺伝子組み換え、DNA配列解析、DNAの増幅法の開発、DNAの化学合成法の開発などの諸々の新しい技術のお陰でこの分野はさらに急速に発展し、その成果が産業として応用されて日常生活の中に広く入ってきている。私が核酸化学の分野に入った1970年代の中頃は、工学部、理学部の化学系の研究者で核酸化学、あるいはタンパク質化学などをやっている人はごく少なかった。ところが、今や日本化学会での講演でもこの分野の講演数は非常に多く、隔世の感がある。

研究分野のライフサイクルの話とも関連するが、日本の大学では同じ研究室で、学部の卒研、大学院、さらに助手、助教授をへて教授となる方が結構おられる。そう言う経歴の方はどちらかというと同じ研究分野で最後まで全うされるケースが多いように思う。一つの分野を全うされて素晴らしい業績を上げておられる方はうらやましいとも思う反面、私は自分の好奇心で研究分野を変え、複数の研究分野を同時進行で行い得たのは幸せであったと思う。

また、私が研究分野を変更したのは自分の興味以外に、直接の先生、指導者、ボスの数が多かったことにもよる。全て優れた研究者で、素晴らしい業績を上げた方ばかりであるが、それぞれで研究分野は異なった。先生方、それぞれが強い個性の持ち主で私に強い影響力を与えてくれたが、下の私としてはそれに適応してやるのがつらいこともあったが勉強になった。それまでやっていた研究も見直さざるを得なくなるようになり、場合によっては研究を変えようと言う意識も出てくる。先生がたも何人かは研究分野を大きく変更されている。

例えば、牧島先生は熱力学、光化学、触媒化学、電気化学、発光材料、固体材料と同一人物の仕事とは思えない色々の分野で業績を上げられた上、さらに年取ってから“Pattern Dynamics”という理論の研究をされている。

また、かって、博士研究員をやったときのボスのOrgel先生はもともとは理論無機化学者で、金属錯体のLigand Field Theoryのパイオニアであった。しかし、30歳代後半から生命の起源の研究の分野に研究分野を変えて、RNAの前生物的合成、非酵素的複製の研究を進められた。彼は老化について理論的に考察した論文も出している。       彼に一度何故、研究分野を変えたのか尋ねたことがあるが、"I lost interest in coordination chemistry" と言っただけであった。私は当時、生物無機化学にも関心があったので、彼に金属錯体の事について話を向けると、この分野のことも色々なことを良くフォローしていてその話にさすがと感心した。

後に、Orgelさんが同席の所で、天然物合成で著名であったが生命の起源に関する研究分野に変わられたEschnemoser教授にも全く同一の質問をしたのだが、Eschenmoserさんは”There are many high mountains to attack other than Everest" と言っていた。