4-1-4.何故、研究するの?何故論文を書くの?

何人かの大学院生が一生懸命にやった実験、研究結果を論文として出しておこうと結果をまとめて、定年間際のついこの前にあるジャーナルに投稿した。ところが、結構厳しい審査意見とともにrejectと言うメールが来た。自分としてはそれなりに良い論文だと思っていたのに、rejectでがっくりきて1?2日落ち込んでしまった。審査員の意見がrejectとしている理由として妥当であるという部分もあるが、的はずれな事を言っている部分もある。いつもそうだが、rejectの返事をもらうとそのジャーナルのインパクトファクターのレベル如何に関わらず、自分のやっている研究が否定されてしまったような気がしてしまう。

そんなことがあるのに、何故研究をするのだろうか?何故論文を書くのだろうか?もちろん、大学でそのような立ち場にいるものとして当然の事というかも知れない。自分の好奇心で好きな研究をやっていると言う側面もある。また、一生懸命に実験、研究をやった大学院生に報いると言う側面もある。しかし、それだけでは無いような気がする。

かって、高等教育フォーラムというML(メーリングリスト)に入っていた事がある(読むだけであったが)。このMLは主に大学の理科系の先生が参加していて、種々の意見が寄せられていていた。その中で、何故研究をやるのですか?と言う問いかけに対して、確か北大医学部の先生から“私は「猫じゃ,猫じゃの猫」だからです”と言う答えがあった。その先生は長いことアメリカで研究生活を送られてから日本に戻った方であった。アメリカで、一流の研究者とか一流の研究とかを目のあたりにして、自分がそのレベルに到達しないのを痛感した。それでも、自分は研究をやっている。その理由は“私は「猫じゃ,猫じゃ、の猫」だからです”というものであった。「猫じゃ、猫じゃ」というのは江戸時代にあった民間の芸能の一種で、猫が三味線の音に合わせて立ち上がって踊り出すというものだそうである。これは、猫の後ろ足だけを布で覆ってやり、前足はそのままにして、熱い鉄板の上に置き、“猫じゃ、猫じゃ”とかけ声をかけながら三味線を鳴らすと、猫は足が熱いものだから後ろ足で立ち踊るような仕草をする。これを繰り返すと条件反射になり、三味線の音が聞こえてくるだけで熱い鉄板の上でなくても後ろ足で立ち踊り出す。その先生が言うには、自分は若い大学院生、ポスドク、助手時代に研究を行っている際に、丁度猫が熱い鉄板の上にのせられ踊らされたように、鍛えられた。今でも、「研究をやりなさい、しかも出来るだけ良い研究を!」と言う三味線の音が聞こえてくる。と言うものであった。私はこれを読んで、自分も「猫じゃ,猫じゃ、の猫」の一員かなと妙に納得してしまった。後、一ヶ月あまりで定年である。三味線の音が聞こえなくなってくることに本当にホットしている。