8月31日(月)〜9月3日(木) 
大峰奥駈(吉野山−山上ヶ岳−大普賢岳−弥山−八経ヶ岳(1915m)−釈迦ヶ岳ー前鬼) 
単独行(宿坊、テント、無人小屋泊)


  
 日本100名山のうちこれまでに99峰を登頂していた。最後に残っていたのは大峰山系の最高峰(近畿の最高峰でもある)の八経ヶ岳である。八経ヶ岳は林道を車で行者還りのトンネル口まで行き、そこから上がれば日帰りで登頂出来る。しかし、それでは面白くない。

  吉野から熊野までの大峰山系の古い従走路である大峰奥駈道を歩いて見たかった。その途中で八経ヶ岳を経ることになる。大峰奥駈道は1300年以上前に役の小角(役の行者)が開いたと言われている修験者(山伏、行者)の修行の道である。吉野や京都のお寺が主催して大峰奥駈行をやっており、僧籍者以外の一般の人間もこれに応募出来ることをつい最近知った。この参加にはお寺による選考があり、お寺により違いはあるが白装束、数珠、金剛杖、白地下足袋などを着用するようである。当然、途中でお経、行場での修行などをやりながら往く。このような大峰奥駈の山岳修行の全行程を踏破した写真家の藤田庄市が著した本「熊野、修験の道を往く、大峰奥駈完全踏破」を読んでこのような修行の山行もやってみたいと思ったが、申し込みはかなり事前に行わねばならず、選考に外れるかもしれない。

  そこで、単独行のテント食料持参で行くことにした。全行程踏破は難しいので、八経ヶ岳を経由する大峰奥駈の北半分だけを行くことにした。

  出発点の吉野山までは高速料金が安くなる日曜日の8月30日に出て吉野山の宿坊に泊まり、翌日から大峰奥駈を前鬼まで歩いた後、吉野に戻り車で熊野まで行き、熊野古道を歩いて熊野三山をお参りすることにした。帰りは次の日曜日の9月6日を予定した。
  お盆休みから2週間も経っているウィークデーなので、静かな山行きが期待出来る。膝や腰が少し痛いところもあったので心配ではあったが、マイペースでゆっくり行ったので無事に静かな山行を楽しむことが出来た。
   

8月30日(桐生−吉野)
    
桐生を10時に出て、北関東自動車道、関越道、圏央道、中央高速道、東名阪道、名阪国道を乗り継いで針ICで一般道に出た。ここから国道369号、370号、169号を経て吉野に6時半頃到着。思ったより早く着くことが出来た。食堂で夕食をとり、コンビニで食料を買い込み吉野山を上がり予約していた喜蔵院に7時半に到着。大きな宿坊はユースホステルでもあるが、本日の客はただ一人。道路の反対側の広くなっている所に駐車し鍵を預けた。翌朝早く出発するので早めに就寝。

8月31日(霧、時々霧雨)

上千本吉野山宿坊、喜蔵院(4:40)−四寸岩山(8:00)−五番関(11:20)−洞の辻(13:25)−山上ヶ岳宿坊喜蔵院(14:40)

 朝は霧で弱い霧雨が降っていた。4時に起床。前日スーパーで買ったバナナ、おにぎりを食べた後、準備して未だ薄暗い中を出発。雨は止んだがかなり濃い霧。時々霧の合間から少し遠方が見えた。吉野水分神社、金峰神社まで舗装道路を歩いた。金峰神社から青根ヶ峰に上がらず巻き道を進みそのまま試み(心見)茶屋跡まで舗装道路を歩いた。道路脇には駐車スペースは充分ある。これならここまで車で来るべきであった。時々霧雨が降る中の歩きで2時間以上かかった。
   ここから少しきつい登りがあってやっと四寸岩山に到着。ここで、休憩を取り残りの朝食を取った。ここからの奥駈道は歩き安い。霧が立ち込めた林間の道は幻想的な感じがする。霧で見通しは良くないので大天井ヶ岳に上がっても何も見えそうに無い。そこで、大天井ヶ岳には上がらず左側の巻き道をとった。女人結界の標識の門がある五番関を通り、洞辻茶屋、陀羅尼輔茶屋に達した。これらの茶屋では山上ヶ岳から下りてきた数名の人たちに会った。さらに上がって山上ヶ岳頂上に達した。途中の行者の修行場である鐘釣岩を見ながら横を上がったが西の覗きは霧で岩が濡れており、なにも見えないのでパスして山上ヶ岳の宿坊に達した。
   霧の中にたたずんでいる宿坊が幻想的な感じがする。ここで予約をお願いしていた宿坊喜蔵院に泊まった。本日は広い宿坊に一人のみ宿泊。他にも何軒かの宿坊があるが何れもひっそりしていて人気が無い。この後、雨傘を持って山上ヶ岳頂上にある大峰山寺に行きお参りするとともに中を拝観した。山の上にもかかわらず立派なお寺で、暗いお堂内の中の仏像,役の行者の像が迫力がある。
   戻ってからお風呂に入れてもらった後夕食。雨音を気にしながらも早めに就寝。


  幻想的な奥駈道         五番関女人結界門         不動明王             霧の中の洞辻茶屋
    

9月1日(霧、後晴)

山上ヶ岳宿坊(5:05)−小笹の宿(6:00)−女人結界門(6:35)−大普賢岳(7:45)−七曜岳(9:40)−行者還り岳(10:40)−行者還り小屋(11:05)−奥駈出合(13:23)−聖宝の宿跡(14:30)−弥山(15:30)

夜雨音がしていたが、朝起きた4時過ぎには雨音は弱くなり、その後止んで霧となった。4時半に出して頂いた朝食を食べ、準備して5時に出発。

   始めは霧が濃かったが次第に霧が晴れて来た。女人結界の門がある阿弥陀ヶ森で少し休憩。大普賢岳(1779m)に達したころは1300〜1500m以上の標高では晴れ。下は雲海が広がっていた。頂上からは雲海の上に遠くの山々(_これから行く弥山、通り過ぎてきた山上ヶ岳、さらには大台ヶ原など台高山脈)が遠望できた。国見岳、七曜岳のアップダウンで予想以上に時間がかかったが行者還り岳への分岐点に達した。

 
 奥駈道                阿弥陀ヶ森の女人結界門         霧の中に陽がさしてくる
      

  
奥駈道                   大普賢岳からの大台ヶ原山系        弥山を遠望
      
 
  頂上にはあがらずそのまま進み行者還り小屋に到着した。この小屋は新しいきれいな小屋で水道までついており、気持ち良さそうで泊まってみたい小屋である。ただしこの水道の水は沸かして使ってくださいと書いてあった。強い陽射しが照り付けており暑くなっていた。小屋の外の木陰で長い休憩を取り昼食とした。
   ここで珍しい?蝶を見た。まさかこんな所にエルタテハが居るとはとびっくりした。しかし、止まっているのを良く見ると羽の裏にはエルの字が見えない。ヒオドシ蝶であった。

  
トリカブト                    ヒオドシ蝶                 行者還り小屋
      

   長い休憩の後、歩き易く気持ち良い登山道を歩いて奥駈道出合を経て聖宝の宿跡に着いた。ここから弥山の上までが急で最後の頑張り。つらかったがようやく弥山頂上の手前の山小屋もある広場に達した。

  
奥駈道                   紅葉が始まったもみじと弥山        役の行者
      

   天気が良いのでテント泊をすることにして山小屋に行って登録し、少し離れた気持ちよい広場の端にテントを張った。小屋には大学生らしい登山者がかなり大勢泊まっていた。小屋で水1.5リットルと缶ビールを買った。広場の正面には遠くの山々が遠望出来、反対側の木の間越しには夕焼けが見えた。小屋の近くのベンチで夕食とした後はテントで寝るのみ。


 弥山頂上の神社                弥山から見る八経ヶ岳              弥山頂上の枯れ木     

本日は奥駈道出合から弥山までの間は何人かの登山者にお目にかかったが、それまでは一人とすれ違っただけで合った。天候も良く静かな山行を楽しむことが出来た。

9月2日(晴れ、後霧次いで霧雨、雨)

弥山(5:15)−八経ヶ岳(5:50)−船の峠(8:00)−楊子の宿(8:45)−孔雀岳(10:15)−釈迦ヶ岳(12:20)−深仙の宿(13:25)

 まだ薄暗い朝4時半に起床。テントを撤収している間に明るくなって来た。天気は好天で朝露も少ない。広場からは御来光が見えた。雲海の上から太陽が上り朝焼けがきれい。おにぎり一個とバナナ一本の朝食を取り準備して出発。
                     
弥山から見る朝陽
                   

   朝の八経ヶ岳までの道は心地よくゆっくりと進んだ。この辺はきれいな花を咲かせるオオヤママレンゲがあるとのことだが、時季では無いのでどれかはわからなかった。代わりに紫色の花のトリカブトの群落がきれいであった。両側には所々鹿除けのフェンスが張りめぐらせてある。
   近畿一の高山で、日本100名山の一つの八経ヶ岳(1915m)に到着。自分にとっては八経ヶ岳で100名山をすべて登ったことになる。50年以上かかった100名山登頂。周囲の見晴らしも良い。これまで歩いてきた山々、これから行く山々、大台ケ原の山々、さらには下の谷筋が雲間越しに見通せた。

  
八経ヶ岳                   八経ヶ岳から見た弥山           雲が峰を駆け上がる
   

   さらに少しの歩きで明星が岳を経て下りに入る。高度が下がるにつれ霧が出てきた。途中で反対側から来た単独行に出会う。楊子の宿(無人の山小屋)に泊まり出てきたとのことであった。今日は午後から天気が崩れるとの情報を得た。アップダウンが結構あり時間がかかる。
   8時頃からはだんだん霧が濃くなってきた。さらに、弱い霧雨となり風も出てきた。仏生ヶ岳は眺望も利きそうも無かったので頂上には上がらず横を通り過ぎた。左足に出来たまめとくるぶしが登山靴に当たり痛い。孔雀岳を経て下った後、急な登りを苦労して上がった釈迦ヶ岳の頂上には大きなお釈迦さんの像が立っていた。頂上では一瞬周りの霧が取れて少し遠方まで見えた。ここから急な下り。

        
不動明王像?とお札              大きなお釈迦様の像
          
 
   霧雨が雨となり風が強くなってきた。ズボン、シャツが濡れてきて、登山靴の中はスパッツを持って来なかったため水が入っている。

   1時過ぎに深仙の小屋(無人の山小屋)に着いた。小屋の中に入り雨宿りしたが、かなりの降りとなったので予定していた前鬼までの行程を止め深仙の宿に泊まることにした。登山靴を脱いで水を出した、靴下を絞り、ズボン、シャツ、下着を着替えて水を出来るだけ絞り干した、後はやることも無く寝袋に包まり休憩。残りの水は0.5リットルで足りない。小屋の入り口の軒先から雨が落ちていたのでコッヘルで受けた。雨が強くなったため、比較的短時間で1リットルくらいが溜まった。これを加熱して夕食用に使った。夕食後、雨音を気にしながらも早めに就寝。

                  
深仙の宿
                

9月3日(霧、後晴れ)

深仙の宿(6:25)−太古の辻(7:05)−二つ岩(8:20)−前鬼(9:40)一時間休憩後−不動の滝(12:05)−前鬼口(14:10)

 夜は雨が降っていたが、朝5時半に起きた時は霧雨となっていた。用意して出発した頃には雨は殆ど上がったが霧で、下草はびっしょり濡れていた。大日岳を経て大古の辻に思ったより早く到着。ここは南奥駈道への分岐点である。前鬼への下りは所々急で長かった。大きな2つ岩の形が珍しい。途中長い木の階段が続いていた。雨に濡れた木道(階段)や岩が非常に滑りやすい。一度濡れた大きな岩の上で滑り転んで腕と顔に軽い打撲。
   降りるにつれだんだん霧が取れてきて前鬼に着くころは曇り時々晴れとなった。しかし、標高の高い所は曇っていた。そちらは多分霧のままだろう。前鬼の宿坊、小屋はこの日は無人。種々の設備はしっかりしていた。ここで長い休憩と昼食。前鬼までは誰にも遭わなかった。前鬼から前鬼口までの長い道路は舗装されており、何台かの車に出会った。また、歩いて上がってくる登山者らしい2人ずれに会った。


  大古の辻              二つ岩             前鬼の小屋              不動七滝                        
   

  これで、北半分だけだが大峰奥駈行は終わり、50年以上かかったが、100名山登頂が達成できた。

   その後、バスで近鉄上市駅に行き、タクシーで吉野山宿坊、喜蔵院まで戻り車を回収。大峰奥駈の最終地点である熊野本宮に向かった。さらに、9月4,5日の2日間、熊野古道を歩くとともに熊野三山をお参りして9月6日帰路に着いた。