蓬峠越え (1568m)

4月1日(金) 晴風弱し


Yさん(アベル父さん)と

登行高度:1060m 滑降高度:880m

土樽道路除雪地点(6:45)-イイ沢手前1100m地点(9:25)−尾根上部1568m地点(11:50〜12:00))-蓬ヒュッテ(12:05〜12:45)-尾根上部1568m地点(13:00〜13:10)−白樺避難小屋(13:30)−湯檜曽川(13:45)−土合橋(15:40)

  
 3月13日にYさんと共に蓬峠越えをする予定であった。しかし、東日本大地震と大津波のあまりの被害の大きさ、深刻なガソリン不足、また関越自動車道が迂回道路として使われるかも知れないと思い山スキーを自粛していた。地震から3週間近く経ち、被災地以外のガソリン不足は解消されてガソリンスタンドに並んでいる車もなくなった。被害を受けた人々の痛みを思い義捐金を出し節電していたが、ずっと自粛を続ける分けには行かない。何時から山スキーをやろうかなと思っているところに、Yさんから地震で取り止めた蓬峠に行きませんか?とのメールが入ったので天気が良い1日に蓬峠に出かけた。

   前夜、自宅を出て関越道の赤城ICから入り湯沢ICを経て土樽駅近くで車中泊。6時に土樽駅集合。準備して除雪終了地点までわずかの距離だが一台の車で行った。ほんの少し歩いて雪が出てきたのでシール歩行開始。

   蓬沢沿いに進んだ。期待していたざら目雪でなく、湿雪がわずかに積もった重い雪。緩斜面をゆっくりと進んだ。気温が高く暑くなってきた。アウターを脱ぎシャツだけでハイクアップ。ペースは余りあがらない。

蓬沢下部                      蓬沢上部を上がる                 大源太山と巻機山
    


   沢が三又に分かれる1100m地点で休憩。表層は10cmくらいの重い湿雪だが粘着力があり雪崩の心配は無い。右側のイイ沢を進むことにした。斜度がだんだんきつくなって直登が難しくなり、2人で交代しながらジグを切って進んだ。風が少しでてきて寒くなりアウターを着た。上部になると雪が硬くなリ、シールだけではスリップして上がるのが難しくなった。少し戻ってクトーを付け、最後の硬い斜面を上がり尾根に達した。

  予想以上の時間がかかった。稜線上は雪が硬く予定していた武能岳に上がるのは取り止め。頑張っても13時50分の電車に乗るのは今からでは難しいのでゆっくりと次の電車で行きましょうと衆議一決。左下に見える蓬ヒュッテに滑り降りた。ヒュッテの前で昼食の休憩をとった。

朝日岳、白毛門                  右下に蓬ヒュッテ                 滑降開始
    

   長い休憩後再度尾根上部に上がり、シールをはずした。先ず目の前に見える白樺避難小屋を目指して滑り降りた。上部はほどほどに雪が緩んで滑りやすい雪であったが、そのうちに重い湿雪が緩んだすべりにくい雪となっていった。右側の尾根をトラバースして避難小屋の前に到着。滑り降りてきたルートを仰ぎ見た。

滑り降りてきたルートを降りける         白樺沢上部                    武能岳
    


   避難小屋の横から武能沢に下る急斜面は上部は雪庇が出ていた。左側の雪庇が切れているところからエントリー。雪は重く、また、表面の10cmくらいの緩んだ湿雪が滑るごとにずり落ちて小雪崩を引き起こしていく。 危険は感じられ無かったし、雪崩れたのをやり過ごして滑ったがあまり楽しくない。武能沢の上部急斜面を下ると,後はほどほどの傾斜の広い沢が湯檜曽川合流点まで続いた。雪は重くターンするたびに足が痛くなってきた。 

避難小屋から見る                 武能沢下部                    湯檜曽川沿いを歩く
    


   湯檜曽川に出ると、後は延々と緩斜面が続く。雪は重く湿っていて全くスキーは滑らず、2人で歩くスキーを続けた。途中マチガ沢出合でゆっくり休憩。数日前のものと思われるスノーシューやスキーのトレースは一の倉沢を過ぎる辺りから着いていた。

   土合橋から土合駅まで歩いて駅の時刻表を見るとなんと乗る予定であった16時台の電車が無い。この電車の運行は3月31日までで4月からは無いことを2人して初めて知った。2人で寒い待合室で2時間ほど待ち5時50分発の電車に乗り土樽駅で降りて車を回収し、Yさんと別れてて帰路に着いた。 

   前々日から前日にかけて湿雪が10cmくらい積もったので雪は重く上りも下りも予想以上に時間がかかてしまった。また、久しぶりの山スキーでもあり足腰が痛くなった。

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